しゃべり言葉の面白さ

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 『あー、あー、あー』、『テス、テス、テスティング』、『マイクテスト、マイクテスト』と言って、マイクロフォンを使う時に、通じているか、音の高さは大丈夫か、エコーになっていないか、そんなことを試すことがあるそうです。

 NHKなどでは、以前は『本日は晴天なり、本日は晴天なり』と、マイクテストをしたそうです。これは、英語放送をする時に、“It is fine today”を直訳したものなのだそうで、英語では、“f”“t”の音をチェックしたのですから、日本語に翻訳しても、本来なら意味がないことになります。

 こう言うのを「猿真似」というのでしょうか。中国語ですと、“d”“t” の区別が難しいのです。「電」は"dian”、「田」は“tian”なのです。この発音がなかなか大変で、物真似をするのですが、どうも猿真似で、身に付かないのです。

 “f”“h” と区別ができないのです。「ファ」が「ハ」になってしまうは、日本語には、「ファ」の発音の言葉はないからです。逆に中国の方は、「きっと」とか「ちょっと」とか「ぱっと」という発音が、「きと」、「ちょと」、「ぱと」になってしまうのです。この「促音」の発音が漢語にないからなのです。

 英語圏では、「猿真似」を、“copy cat"といって、「猫」になるのだそうです。「猫に小判」は、欧米では「豚に真珠」で、因みに中国語では「対牛弾琴」で「牛」に琴の音を聞かせることなのです。「猫に鰹節」は「猫にミルク」と言うのだとか、因みに中国語では「虎口送肉」、肉食の「虎」の口先に肉を置くのに似ているようです。

 アルバイトをしていた時に、秋田出身の社員の方がいて、東北弁の口調を、初めて自分の耳で直接聞いて、すごく暖かさを感じたのを覚えています。性格が穏やかで、いつもニコニコしていて、恥じないで一生懸命喋っていたのです。『うんだべさ!』を聞き覚えて、時々使ったことがありました。『そうなんだ!』というよりも、本当に、その通りなのが伝わってきたのです。寒いから、あまり口を大きく使わないで話した言葉なのかな、とも思ったのです。

 鹿児島で、お会いしたおばあちゃんの「薩摩弁」は、まったく分からない、まるで外国語でした。一生懸命話しかけてくれて、大歓迎してくれましたので、ただ頷くだけでした。西郷隆盛と従道も、兄弟で話す時には、「薩摩弁」だったのでしょうね。

 在華中にも、今まで標準語を話していた方が、同じ故郷の方から電話が入ると、その「方言」に切り替えて話し始めるわけです。ある時、英語での講演を、中国語に翻訳しているのを聞いて、日本語に置き換えていたら、もう疲れてしまいました。英語だって、50年も使っていないのですから。言葉って、面白いですね。

 方言を持たない、標準語語りを自認していますが、東京弁だって、江戸の下町言葉と長州弁でできたと聞きますし、その東京弁の人が、私の標準語だと思って使っているのを聞いたら、『ちょっと違うなあ!』と思うことでしょう。

 中部山岳の地で生まれ、その地で小学校一年生の一学期まで過ごした時の言葉が、家の中だけで時々混じっていたのです。父も母も、そこの出身ではないのにです。小学校を、東京の南多摩郡で過ごしましたので、土地っ子の話す〈べえべえ言葉〉を、真似して話していました。群馬県や神奈川県でも、それを話し、栃木に参りましたら、『そうだべえ?』と話す言葉を時々聞きます。

ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく 啄木

 乗り換え駅では、その沿線のそれぞれの地の言葉で、同郷者どうしの話し言葉が聞こえてくるようです。新宿駅から、長野方面行く中央線の列車に乗り込むと、甲州弁、信州弁が聞こえたのです。上野も池袋も品川も、同じなのでしょうか。歳をとって、故郷の出雲弁が出てきた、緊張感の緩んだ母のしゃべり言葉を思い出します。

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