悲しい別れ

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 このブログは、16年前の2006年3月26日に投稿したものの再投稿です。

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 『俺って、お袋に抱かれたことがないんだ。オヤジが誰なのかも分からない。生まれて、すぐに道端に捨てられていたから。拾って抱き上げて育ててくれた人がいる。あの日に死んでいたはずの俺なのに。この人は、震えていた俺を抱いて、あやして名前までつけてくれた。

 でも、世話をし続けることが出来なくなって、別の家族に引き取られてしまった。そこでも、十二分の愛情を注がれて育てられた俺だけど、外の世界の自由な空気を吸いたくて、ついに飛び出してしまった。生きる術などまったく知らなかったし、どうやって、自分で食べて行ったらよいのかも学んでいなかった。外の世界の現実は冷たかったのだ。物音におびえ、足音や車のきしむ音が聞こえると影に身を潜めた。

 おなかのすいた俺は、申し訳ない思いを持って、主人の所に舞い戻ったのだ。そこには、俺を養い育ててくれた人が、心配して外で帰りを待ち望んでいたのだ。そこに申し訳ない思いを込めて、『ニャーオ!』と鳴いて走り寄って、主人の腕の中に飛び込んだ。食べることも、眠ることも出来なかった俺を、再び暖かく迎え入れてくれたのだ。感謝なことである(「放蕩息子物語~ネコ・バージョン~」)。』

 この「俺」は、猫の「タッカー」なのです。南信の飯田の町の道端で震えて鳴いていたのを、娘婿が拾い上げて家に連れ帰って、育てた猫です。アメリカに帰って行く時に、どうしても連れて行くことが出来なくて、私と家内が adapt アダプトしたのです。来客があったとき、玄関から走り出て二泊三日の「脱走」をしたました。娘が、「ネコ寄せネズミ」を置いていったので、それを持っては外に出て、玄関で振っては、帰りを待っていたのです。

 すると、『ニヤーオ』と一声鳴いて車の陰から走り出て来たではありませんか。食べられない眠れない数日を過ごした彼の帰還を祝って、その晩、缶詰を切ってお祝い会を開いて上げたのです。実に美味しそうに食べ終えたら、彼の所定の場所、茶箪笥の上に行って、そこで2~3日、眠り続けていました。実はもう一匹、娘婿が拾ってきた「スティービー」も我が家にいるのです。彼女は、タッカーの脱走中に、三日ほどまったく落ち着きを失って、異常な行動をとっていたのです。

 ところが、《お兄ちゃん》が帰って来ましたら、その歓迎振りはすごいものでした。二匹とも野良猫だったのを拾われた境遇を同じくしていたので、兄のように慕って、共に過ごしてきていましたから。

 まったく捨て猫で野良猫のような私を、万物の創造の神が、御子の十字架の血の代価で、買い戻してくれて、養子縁組によって、「子」の身分を与えてくれたのです。そして、何と「共同相続人」にもしてくれたわけです。ところが自分勝手の道に迷い出た時も、しっかりと見守っていてくださって、『帰って来る!』と確信して待ち続けてくれたのです。帰って来た時、わたしを見つけ、走り寄り、ハグしてくれ、口づけまでしてくれました。ボロ着を脱がせて一番上等な着物を着せてくれ、指輪をはめ、靴を履かせ、祝宴を催してくれたのです。

 今回のタッカーの脱走劇から、なぜか二重写しに自分の姿を見たようでした。私は、『大好きな俺のとうちゃん!』と、父なる神を呼べるように復権してくださったわけです。感謝なことであります。

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 この投稿から4ヶ月後、わたしたちは、香港経由で北京に行くことになったのです。この二匹の猫を、保護センターに連れて行かなければなりませんでした。情が移っていた二匹と、そういった別れをしなければなりませんでした。

 猫嫌いなわたしが、猫の可愛さを知って、懐かれ、すり寄られる喜びを知っての別離は、泣きたいほどでした。持ち物のほとんどを処分してしまっても、生き物との別離は悲しかったのです。冬用のセーターを、中国に持っていったのですが、家内は、スティビーの毛を、そこに見つけて泣いていました。

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