ベランダ、シンガポール、砂漠に咲く

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 爛漫の五鉢の紅と白の胡蝶蘭が咲き続けて、今朝で三輪を残すのみになっています。よく咲いて、コロナの中を楽しませてくれました。太陽の光と週一の水やりで、咲き続けてくれたのです。感情はないのですが、来客者の賞賛の的で、きっと嬉しかったことでしょう。まったく型を変えず、遠慮も驕りもなく、楚々と咲いてくれたのです。

 シンガポールで働いていた長女が招いてくれて、何度か華南の空港から飛び立って、その街を訪ねたことがありました。市内に、「ボタニックガーデン( botanc garden /シンガポール植物園)」があって、そこに綺麗な「蘭」が、数多くの種類の花で咲いている、「National Orchid  Garden 」があります。

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 蘭には、これほどに種類があるのかと思うほどで、希少なものまでがある、世界最大の蘭園なのです。

 『荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。  盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜るので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。 (イザヤ3512節)』
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 窓辺に咲く胡蝶蘭ですが、同じ花仲間のサフランは、荒れ野、砂漠、荒地に咲いて、荒漠の世界を彩るのです。聖書に登場する花の一つです。森鴎外が、こんなことを「サフラン」と言う文章を書いています。

 『去年の十二月であった。白山下の花屋の店に、二銭の正札附でサフランの花が二、三十、干からびた球根から咲き出たのが列べてあった。私は散歩の足を駐めて、球根を二つ買って持って帰った。サフランを我物としたのはこの時である。私は店の爺さんに問うて見た。

「爺いさん。これは土に活けて置いたら、又花が咲くだろうか。」

「ええ。好く殖(ふ)える奴で、来年は十位になりまさあ。」

「そうかい。」

 私は買って帰って、土鉢(どばち)に少しばかり庭の土を入れて、それを埋めて書斎に置いた。

 花は二三日で萎れた。鉢の上には袂屑(たもとくず)のような室内の塵(ちり)が一面に被かぶさった。私は久しく目にも留めずにいた。

 すると今年の一月になってから、緑の糸のような葉が叢(むら)がって出た。水も遣らずに置いたのに、活気に満ちた、青々とした葉が叢がって出た。物の生ずる力は驚くべきものである。あらゆる抗抵に打ち勝って生じ、伸びる。定めて花屋の爺いさんの云ったように、段々球根も殖えることだろう。

 硝子戸の外には、霜雪を凌(しの)いで福寿草の黄いろい花が咲いた。ヒアシントや貝母(ばいもも)花壇の土を裂いて葉を出しはじめた。書斎の内にはサフランの鉢が相変らず青々としている。』

 来年あたり、このサフランの球根を、買って植えてみたくなりました。上流の水源から、こんこんと湧き出る湧水を源流としている「巴波川」の流れの端のベランダで、砂漠の花を咲かせてみたいものです。咲き終わった一つの鉢に、胡蝶蘭の花の茎が一本伸びて、芽をつけています。秋口には咲き始めそうで、4期目の花になります。

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盛夏、8月朔日、ウクライナ戦争も新型コロナも、そして熱中症の危険事態が続いていますが、暦の上では、「秋」、ラジオ体操の会場への道端に「キキョウ(桔梗)」が咲いていました。息子が買ってくれた空気清浄機が、『ガンバルゾ!』と、今声を出していました。全ての事態をご存知の神さまに、「おまかせ」で過ごしていきます。今日は、家内の誕生日、それを祝うように朝顔が、今季初めて咲いてくれました。

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