蘇軾(そしょく/蘇東坡/1037〜1101年)は、次の様な壮大な詩を詠んでいます。
船上看山如走马,倏忽过去数百群。
前山槎牙忽变态,后岭杂沓如惊奔。
仰看微径斜缭绕,上有行人高缥缈。
舟中举手欲与言,孤帆南去如。
【邦訳】 船の上から両岸の山を見れば、数百という山がすさまじい勢いで去っていく、眼前には入り組んだ山が折り重なり、かと思うと背後に消え去っていく
天上を見上げれば細い道筋が斜めに通じ、そこを歩いている人がはるか彼方に見える、船から手をふって話し掛けようとしても、船は飛鳥の如くに飛び去ってしまうのだ
南宋時代の詩人の蘇軾は、父蘇洵、弟蘇轍の他に、兄弟たちの妻たちと旅をしていたのです。彼らを乗せた船は、故郷の眉州を出発した後、岷江を経て長江の本流に入っています。東へと下っているのです。この詩は、重慶を過ぎて山峡へと向かう途中に詠まれたと言われています。この辺は、長江の中でも急流で、その流れの様子を生き生きと描き出しているのです。
南宋の時代ですから、蒸気機関で引く列車、エンジンを搭載した船、ガソリンエンジンの車、飛行機などありませんでしたから、長江の本流を下る船ほどに早い乗り物はなかったのでしょう。蘇軾は、その目を見張る様な速度の舟に、まさに飛鳥の様に川面を下る舟に、驚きの声をあげて作詩したわけです。
長閑(のどか)といえば長閑、危険といえば危険、宋代の中国大陸の大河川は、今も同じように、と言いたいところですが、発電や農業用水にダムもない、天然自然の姿に、蘇軾一行は心をふるわせていたのでしょう。
家内と私は、友人が案内してくれて、武夷山wuyishan の麓を流れる闽江 minjiang の上流の流れを、竹製の筏で降ったことがありました。次女家族が来た時も、同船しながら、悠長に、竹で棹さす筏に乗ったのですが、蘇軾のような急流ではなかったので、静かに、竿刺す水音を聞き、景色を楽しむことができました。
近所の歯医者さんと、治療後に話をしたのですが、中国で日本語を教えていたと言いましたら、『すごいですね!』と感心し、中国に魅せられて、よく旅行をするのだと行っておられました。広西チワン族自治区の桂林 guilin や四川省の九寨溝 jiuzhaigouなどにも行っているそうです。この大陸には、天然の美、いえ、神の創造の業が、創造時と同じように残されているから、人を惹きつけるのでしょう。
『天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。 その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。(詩篇19篇1~6節)』
天も地も、神の創造の業です。夏のベランダで、朝顔の蕾が大きく膨らみつつあります。去年咲き終わって、落ちた種が、土の中から芽を出して、今頃になって咲く準備をしているのです。あんな小さな、目に止まらなかった種が、命を繋いでいるのです。まさに、ここにも創造の美が、神からの夏の《贈り物》のようであります。
(南宋時代の巷間、今の長江、朝顔の花です)
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