わたしには、1週間に一日、「温泉曜日」が決めてありまして、それをほぼ励行しております。時々、腰痛がおきてしまいますから、その予防本能からでしょうか、腰を温めると、具合がいいので、そうしているのです。若い時に、自治会での側溝掃除で、あのコンクリートの蓋を、自力で上げて痛めた、中国語では「老病laobing」、「老毛病laomaobing 」と、老いた者の病のように聞こえる「腰痛持ち」なのです。
起き上がれないほどに痛んだことが、二、三度ありました。歩けないで、這うようなことがあったりで、十日間も寝たこともあったのです。それ以来、起こりそうな予兆があると、もう絶対に無理をしなくなったので、今では酷くなることはありません。テニスの壁打ちもできるほどになったのですが、それさえも、もう無理をしないようにしています。
いつもは歩くのですが、先日は少し遠いので、市内を運行する〈ゆうゆうバス〉に乗って、1時間ほどの日帰り温泉に行ったのです。露天風呂の休憩用の椅子に座っていましたら、咲き終わった花のようなわたしなのに、甘くみられたのでしょうか、「蜂」が飛んで来て、まとわり着こうとしたので、素早く身をかわして、お湯の中に逃げ込んで難をのがれました。
吸蜜の作業中だったのでしょうか。その蜂の生態について、ある新聞に、蜂が一生の間に、どれほどの蜜を吸って、巣に戻るのかが記されてありました。
『1匹のミツバチ(働き蜂)が一生に集める蜂蜜の量は小さなスプーンで1杯分、5グラム程度とされる。米国の行動生態学者の試算によると、ミツバチは1回平均25分飛行し、約500個の花を回る。450グラム入りの瓶には合計で1万7330回、延べ7220時間かけて約870万個の花を回った結果が詰まっているそう(山陰中央新聞「明窓」欄)。』
わが家にも、息子が届けてくれた「マヌカ・ハニー」があり、まだわずかですが、瓶に残っています。その蜂蜜を集める作業が、どんなに大変なことかを知って、労働の量と時間の対価として計算したら、ものすごい高額になるのを知って、何か申し訳ないように感じてしまったのです。
内村鑑三が、1894年(明治27年7月)に、箱根で行われた「キリスト教徒第六夏期学校」で、『・・・われわれが死ぬまでにはこの世の中を少しなりとも善くして死にたいではありませんか。何か一つ事業を成し遂げて、できるならばわれわれの生まれたときよりもこの日本を少しなりともよくして逝きたいではありませんか。』と、明治を生きる青年たちに挑戦しています。
自ら働くことを通して、何かをこの世の中でなすことによって、良い社会を作り出すのは、青年期にできる価値あることです。人の一生を、無為徒食で終わるのではなく、一事にこつこつと取り組むことなのでしょう。誰に誉められなくとも、自分に課せられた分、自分の責任を果たすことなのでしょう。最初に神が創造された人の《耕し守る責務》です。
人生の時々に、人はなすべきことがあります。歳を重ねて社会的な責任を果たし終えた今でも、まだ、年老いた者にもすべきことが残されてあります。そして孫たちが、もう何年かすると、学業を終えて、一人に社会人としてなすべき天職と出会おうとしています。
蜜を集める蜂が、群れの長(おさ)にならなくても、課せられた一事に専心して生きる姿を見せています。それに倣って生きるのは、素晴らしいことに違いありません。彼らが、自分の果たすべき一事と出会えるように願う、7月であります。
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