「立ち直り支援」で、『今日は一日、少年たちと一緒に、農作業をしました!』と、団塊世代のおじいさんになった弟が言って来ました。それが嬉しいのか、彼らが、心を開いて、いろいろ話し始めてくれたのだそうです。
長く教師をしながら、生徒指導の立場から、盛場で子どもたちに「声掛け」を、警視庁のスタッフとやって来て、今は、そんな奉仕を、喜んでしているのでしょう。母校の教師を退職して、学校の理事や教員の相談員、都内の小さな規模のチャーチスクールの教師、都内の盛場での見守りをして来て、75歳を機に、全てを終えても、気掛かりなのでしょう、警視庁の要請もあって、支援活動を続けているのです。
『そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。(創世記3章23節)』
人類最初の労働は、「土を耕すこと」でした。それは、罪を犯した人が、「エデンの東」の地で、生きるため、悔いて立ち直りに向かって生きて行く上で、創造主の委任でした。「農業」には、土から造り出された人に、糧を得させるためだけではなく、人の生を肯定し、神の創造の世界に関わって行くためなのかも知れません。
第一次産業に関わる人が減って来ていますが、壊れた心や家庭や社会を再生して行くために、土を耕すことには力がありそうです。世界中で休耕地が増えていますが、人間関係に疲れた人、傷ついた人を癒す力が、「土」にはありそうです。土いじりだけではなく、時期が来て収穫を手にすることに、喜びがあるからです。
素手で、「土」に触れることには、再生の力、命を宿し、生み出す力に触れることなのでしょう。先週、ベランダに、茄子や三つ葉の苗をいただいて、鉢の土の中に植えました。もう根付いて、イキイキとして来ています。土の感触を楽しめて、手も心も喜んでいます。「土や「農」に触れて、この時代の傷ついた子たちが、生きる喜びを感じ、一緒に作業する喜びで、再起していくために、好い奉仕が続けられることを願いつつ。
.