よい年を!

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 私たちの住んでいる地域は、中国の行政区画によって、かつては「◯◯县◯◯镇◯◯村」と呼ばれていた地域です。現在は大きな地方都市が、近隣を合併させているのです。公共交通網が張り巡らされている現在は、中心街に行くのに、ものの20分か30分ほどの至便さにあります。そんな開発地域に、大きなスーパーが3つほどあります、台湾系とイギリス系、地元のチェーン店で、それぞれ大量仕入れで価格を三店で競争しているようです。12月初旬に、この街最大の商業施設としてもう一店舗開店しました。週末には、驚くほどの人だかりがしていますし、周辺の道路は、大渋滞になっております。先日バスに乗っていましたら、運転手と乗客が、この商業施設のオーナーが、有名な政治家の「女婿」だと言っていました。全国展開の〈ショッピングモール〉で、さながら、ホノルルにある〈アラモアナショッピングセンター〉思わせるほどの充実ぶりで、日本にも珍しいほどの規模ではないでしょうか。

 この一画には、「MUJI」と看板を掲げた店がにあり、何かと思いましたら、「無印良品」とありましたので、日本の企業だったのです。三日ほど前に、このモールに行ってみました。店に入りまして、「MUJI」の商品を手にとってみましたら、日本円と「人民币(renminbi)」の価格が併記されてあったのです。『うわー、高い!』、これが第一印象でした。日本では高級品ではない、この店の商品ですが、隣にあった中国の老舗の価格よりも高いのですから、最高級品になるに違いありません。だからでしょうか、客はまばらでした。もう、中国のみなさんの目線にたってしか、物の価値を判断できなくなりましたから、われわれ庶民にとっては、高嶺の花の商品になります。ところが、日本に帰ると、そんな抵抗は全くなくなってしまうのですから、不思議なものです。そんなことで、手ぶらで出てしまいました。

 九州の熊本にある「味千」というラーメン店が、中国で大きく展開していまして、その店もこのモールの中にあります。私たちの街には、「卤面」と呼ばれる名物の麺類がありますが、これが6元ほどで美味しく食べられるのです。ところが、この日本ラーメンは、30元ほどもします。5杯はゆうに食べられる勘定になるでしょうか。それでも日本製品は人気があります。お菓子を買いましても、その袋には日本語がひと言ふた言書きこまれているのです。時々間違って記入されていたりしますが。日本風シュークリームもあって、先日、友人が買ってきてくれました。街中では、新車がさっそうと走っていて、トヨタ、ホンダ、三菱、スズキ、マツダが、ひときわ多く見られるのです。『日本製品は、抜群に良いですね!』というのが、嬉しい評価です。最近、家にチラシが入っていました。何かといいますと、「温水の洗浄機付きの便座」の広告でした。そういったものが歓迎される、豊かな社会になってきたということでしょうか。『東京のホテルの泊まったとき、トイレの便座が暖かくて、誰か、前に座っったのかと思いました!』、と、天津で一緒だったドイツ人の友人が、冗談を込めて言っていたのを思い出します。こう言うのを、「微に入り細を穿つ」というのでしょうね、日本製品は。驚きと感嘆の的、これが日本製品でしょうか。


 今後、私たちの地域では、激しい販売合戦が展開されそうです。日本と同じように、チラシがポストに定期的に投げ込まれて集客を図っています。この地域には、昔から〈菜市場〉という青物、乾物、肉、タマゴ、雑貨などを商う小さな店の集まった地域があります。野球ができるほどの屋内練習場のような作りで、驚くほどの集客がみられます。魚屋の水が土の通路を泥にして、靴が汚れてしまいますが、とても便利なところです。天津で過ごした一年間、私たちのアパートのすぐ近くにも、この〈菜市場〉がありましたので、スーパーでは特殊なもを買い、生鮮品は、ほとんどここで買いました。「パン粉」だってありましたし、お願いするとミンチの肉も売ってくれました。日本にも、地方には残っている風情なのでしょうが、今はもう見られなくなった光景でしょうか。

 クリスマスセールが一段落し、すでに正月用品が、「春節」に向けて売られ始めているようです。日本の昔の暮れの風景、正月用品を売る店に集まる人並み、よくテレビで、上野の御徒町が放映されていましたが、どこの街も実に賑々しかったのを思い出します。今は、「通販」の時代なのでしょうか。『廣田さん、ネットで買うと安く手に入れることができますよ!』と、教えてくれる友人がいます。家内が、〈USB〉をスーパーで買ってきました。140元ほどしたでしょうか。念のため、中国版のamazonで検索しましたら、同じ容量の製品が40元ほどでした。もう中国も、通販の時代なのだと思わされて、ちょっと損をした感じがいたしました。
 
 日常を、このように生きて、年の瀬を迎えています。六回目の師走、再び「師」になる機会が与えられましたが、私は、ここで走りまわることはありません。「師走」ということばは、Wikipediaによりますと、『日本では、旧暦12月を師走(しわす)または極月(ごくげつ、ごくづき)と呼び、現在では師走は、新暦12月の別名としても用い、その由来は僧侶(師は、僧侶の意)が仏事で走り回る忙しさ(平安後期編『色葉字類抄』)からという平安期からの説がある。また、言語学的な推測として「年果てる」や「し果つ」等から「しわす」に変化したなどという説もある。』とありました。坊主ではない(!?)のですが、気持ちはわかります。


 よい(好い、善い、良い、佳い、嘉い、美い)年をお迎えください。心から幸福と平安と喜びを願っております。

(写真上は、中国切り絵の「福」、中は、天津古文化街、下は、大賑わいの菜市場前の路上風景です)

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