岐阜県

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 礼拝の御用に招いてくださった教会が、岐阜県下にありました。2、3度、そんな機会があったでしょうか。それ以前、初めての職場の出張で、岐阜に行きました時に、一日の仕事を終えましたら、柳ヶ瀬という繁華街に連れて行かれたのです。賑やかな夜の世界が、地方都市の路地裏にあるのに驚かされたのです。

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 そう言えば、東京の上野でも新宿でも池袋でも、terminal 駅は、その沿線の「方言」が聞こえてくるのです。仕事で故郷には帰れない人が、その terminal の駅で、「ふるさと」の話し言葉を聞きたくて、寂しくなると行くと言った話をよく聞きます。広東省の杭州の bus  terminal で、バスを待っていたのですが、そこに、『標準語を話そう!』と掲出されてあって、方言の種類の多い中国南部では、そんなことの注意が必要なのだと学んだのです。

 岐阜の「阜」は、丘や台地のことで、中国の山東省に「曲阜」と言う街がありますが、孔子の出生地で、「国家歴史文化名城」として有名です。それにあやかろうと、「学問の府」でありたいと命名されているそうです。岐阜は、「美濃国」と「飛騨国」が前身で、あの織田信長が活躍した地でもあります。

 歴史上有名な「関ヶ原の決戦」は、西軍と東軍の天下分け目の戦として、日本史で学びました。日本列島のほぼ真ん中に位置していて、地理的に重要な位置を占めていたことになります。結局、戦を収めたのが徳川家康で、敗者は取り潰しになったり、遠くに追放されたりしています。

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 県内の山岳地帯から流れる木曽川や庄内川は太平洋に、神通川や九頭龍(くずりゅう)川は日本海に注いでいて、山岳部の多い県です。飛騨の山村から、多くの少女が、峠を越えて信州の岡谷などに、「製糸工女」として出稼ぎを送り出したことで有名です。日本の近代化に、人的な貢献をしたわけです。

 そういえば、華南にいた時、岐阜の高山から、大学に留学していた青年がいました。素敵な好奇心の旺盛な青年で、しばらく一緒に過ごしたのです。学士卒業をされて、日本の大手の食品会社に就職したと言っておいででした。

 今では世界遺産に登録されている、白川村の「合掌造り」の日本建築が有名です。まだ訪ねたことがありませんが、雪深い地で、賢い生活の工夫がされて、教科書だったか、地図帳だったかに、その写真を授業で見て、驚かされたのを覚えています。

 人口が200万人弱で、富山、石川、福井、長野、愛知、三重、滋賀の7県に隣接していて、ここ栃木と同じで、海のない内陸圏なのです。茶碗や湯呑みなどを「瀬戸物(せともの)」と呼びますが、瀬戸市中心では、その製造が有名で、陶器全般を、そう呼んでします。鎌倉時代に、宋(中国)の国から伝来されてから、主に家庭用の食器などの製造が行われ、全国に広まっていった経緯があります。
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 もう一つ、美濃地方、とくに大垣市を中心に、ワイドナー宣教師が、1918年に始められた「美濃ミッション」と言う宣教団体があります。近所の神社や伊勢神宮の参拝を、小学校の児童が、「偶像礼拝」を拒んで起きた事件がありました。その home  page に次にように、「美濃ミッション事件」の記事があります。

1929年~1933年 児童の「神社参拝拒否」に端を発して、 その保護者、教会、美濃ミッションを排撃する運動が、大垣市から日本全国に広がった事件。信仰の「迫害・弾圧事件」は、国家によるものが多いが、「美濃ミッション事件」は学校・住民といった地域が行ったものに、 国家・警察、教育関係者、軍隊までを巻き込んで拡大していったのである。明治末期から大正時代にかけて、学校教育に天皇制・国家神道を盛り込んでいった結果が、昭和の初期にこのような事件を起こす土台となった。キリスト教界を揺るがしたこの事件は、今だに尾を引いている。戦前のこの事件を検証することによって、現在のキリスト者の信仰告白と証の参考としていきたい。』

 大垣教会の日本基督教会の朝倉牧師は、『神社に低頭するのは、キリスト教信仰に何ら差し支えない!』と、曖昧なことを言って、公に美濃ミッションを非難しましたが、ミッションの教会は、解散を命じられても信仰を堅持して、聖書の教えに従って立ち続けて、今に至っています。ダニエルのように、しっかりした信仰に立った、人や国家に阿(おもね)らない、素晴らしく強い教会です。

(観光地図、養老郡の景勝地、白川村、美濃ミッションの本部です)

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