中国で初めて住んだ東北部の街の交通大学の校舎が見えます。その学校の教室を借りて、語学学校がありました。毎朝、自転車で、外国人公寓(gōngyùアパート)から通っていたのです。私たちが一番高齢の学生でした。
行く前に、中国語のできる友人から学んではいたのですが、あの教室で、あんなに真面目に学んだのは、私にとっては初めてのことでした。帰りには、自転車を降りて、行き合う街の人に、習いたての中国語で語りかけるのです。みなさん相手になってくれて、日本人だとわかる私たちを物珍しがって、発音を直してくれたのです。よい会話練習になりました。
この自転車で街中に出ては、街で一番古い教会に、日曜日の朝は出掛けて行きました。帰りに小吃店(食堂)でお昼をし、時々同級生も、教会に来ていて、一緒に食事をしたのです。卒業したみなさん中国中の街に散って行きましたが、今はどうされておいででしょうか。
日本が砲火で攻撃した街でしたし、東北部では大きな街でした。私たちよりも年配のみなさんが、涙を流して、公認教会の聖餐に預かっているのを見て、その真剣さに驚かされたことがありました。
自転車に乗っているのは、家内です。2006年の秋だったと思いますから、15年前になります。スイス、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、イギリス、ブラジル、マレーシアなどから来ていたみなさんと同じ学校でした。英語と中国語混じりでの会話が、じょじょにできる様になって行きました。
今日は8月1日、日曜日、4時過ぎの朝焼けが赤く綺麗でした。東京ではオリンピックの競技が続いています。コロナの感染者が激増してるとニュースが伝えています。初めて会った時が十代だった家内が、78歳の誕生日を迎えました。よい日曜日であります様に!
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