がんばろうNIPPON!


 私の父親は、スタルヒンや沢村栄治が活躍していた頃からの巨人軍フアンでした。お酒を飲まなかった、そんな父の唯一の楽しみは、キンツバをほおばりながら、渋茶をすすって、テレビ中継で、巨人軍の試合を観ることだったのです。放送時間が終ってしまいますと、小型のラジオを取り出して、耳をつけて聞いていました。贔屓の巨人軍が勝っても負けても機嫌を損ねたりするようなフアンとは違っていたのです。たまには、こっそりと後楽園に行っていたようです。そんな、ただ巨人軍を愛していた父が、長年見聞きしてきた歴代の伝説の選手を、ときどき語ってくれました。そんな選手たちが、私たち兄弟も好きだったのです。もちろん勝つことを願っていたのですが、負けても、一生懸命に闘った巨人軍を激励していた父でしたが。

 「十六貫(60キログラム)」の恰幅の良かった父でしたが、背が低かったのです。もう少し背があったら、野球をしたかったのではないでしょうか。我々が子供時代に憧れていた大下とか小鶴とか千葉などよりも、上の世代でしたから、草創期のプロ野球選手を、少年期には夢見ていたのかも知れません。そんな父を見て育った私たち4人の男の子たちは、父が買ってきてくれたグローブで、父の手ほどきでキャッチボールを覚えました。少年期を過ごした東京の郊外に住んでいた頃は、家の前の旧甲州街道の路上で、兄たちとボールを投げ合っていたのです。和服のすそをパラッとさせながら、独特のホームで投げていた父の姿が目に浮かびます。暴投で、近所のガラスを何枚割ってしまったことでしょうか。その修理のためにガラス屋に飛んで行って、寸法どおりにガラスを切ってもらって、なけなしの小遣いで買って、はめる技術も覚たのです。そんなトレーニング(?)で肩が良かったので、ずいぶんと遠投することが出来ました。野球好き4人の中で、すぐ上の兄だけが高校で野球部に入って活躍しました。惜しくも甲子園には行くことは無かったのですが、この兄が一番野球好きで、巨人贔屓だったと思います。

 このところプロ野球が面白くなくて、人気が凋落してしまったようですね。サッカー人気に押されているというよりは、プロ野球自体の面白みが無くなってしまって、フアンを離れさせているのかも知れません。すぐ上の野球少年だった兄は、猛烈な巨人フアンでした。東京ドームができてからも、シーズン中には何度も足を運んで応援していましたが、もう最近ではテレビで見ることさえしなくなっているそうです。ジャイアンツが他球団の優秀な投手や4番打者を、契約金を積んでスカウトしてきて、チーム編成をするようになった頃から、面白みがなくなってしまったのではないでしょうか。金田、落合、廣沢、清原などです。多摩川のグランドで育てた選手ではない、出来上がった優勝請負の大選手がいても、勝てないチームに成り下がったのです。

 プロ野球が面白かった頃には、少年たちに夢があったと言えるでしょうか。夢でキラキラしている少年たちを見つめる少女たちもでした。相撲もプロレスも面白かったのです。そういった夢を心に秘めた少年たちが大人になって、夢で培ったパワーで、高度成長期の日本をあらゆる面で支えてきたのです。あの頃は政治も、政治家も、少々危険だったのですが面白かった。それに反抗し、革命を夢見た学生運動の中にも、青年なりの正義感が潜んでいたのかも知れません。テレビも映画も、内容は嘘っぽかったし、幼稚だったのですが、面白かった。見て、聞いて心を励まされたからです。

 それとは違って、停滞期から衰退期をたどってきている今の日本に、全く元気が無いのです。新幹線が走り、オリンピックが開催され、万博が開かれて、矢継ぎ早のイヴェントが行われた頃、少年たちの心は、嫌というほどに高揚させられていたのです。それも暫くのことでした。世界有数の文化的な裕福な国家にはなったのですが、頑張りの陰で、どこかに心を置き去りにしてしまったのです。

 この3月11日の東日本大震災、原発事故以来、それが急加速してしまいました。なんとなく諦めの気運が、日本の全土を覆ってしまっているように感じられてなりません。だからこそ、この時代を生きる少年たちに、夢や理想や幻を持ってほしいではありませんか。こんなに美しい風土、美しい言語、穏やかな人間性を宿している国に生まれて育ってきているのですから。決して叶えられないけど、夢で心をパンパンにふくらませている時期こそ、人を心を成長させるのではないでしょうか。『少年よ大志を抱け!』と言って日本を後にした札幌農学校のクラークは、明治の札幌農学校の一回生にだけに、そう語ったのではなく、その後の日本の少年たちの心に、《野望》や《野心》を抱いて生きるように挑戦したのだと思うのです。それが私たちの父の世代であり、私たちの世代だったのですから。この気概を子や孫の世代にも受け継がせたいものです。春から始まったスポーツシーズンが一段落した今、私の左腕には、『がんばろうNIPPON  Unite To be One !』と刻まれたアームバンドが巻かれています。〈NIPPON〉のうしろに、〈の少年たち!〉と、私の切なる思いと願いを添えたいのです。

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