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今週訪ねた山里のそこかしこに、鮮やかに咲く「コヒガンザクラ」が咲いていました。野山の芽吹きの前哨の様に、あでやかな桃色の花を見せていました。私たちが泊まった保養所の庭にも、満開前の花が咲き始めていたのです。帰りの東武日光線の駅舎の脇には、「染井吉野」がチラホラと花を開き始めていました。まさに「花は三月弥生」です。
さくら さくら
野山も里も 見わたす限り
かすみか雲か 朝日ににおう
さくら さくら 花ざかり
さくら さくら
やよいの空は 見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざや いざや 見にゆかん
明治期に歌い始められた、この「さくら」は、日本人の好きな歌の一つです。何度歌ってきたことでしょうか。華南の街の公交車(gongjiaoche市内バス)に乗っていた時に、この「さくら」ではない、森山直太朗の「さくら」が聞こえてきました。ちょうど今頃の時期でした。
僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を
さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ
どんなに苦しい時も 君は笑っているから
挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ
霞みゆく景色の中に あの日の唄が聴こえる
さくら さくら 今、咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻
変わらないその想いを 今
今なら言えるだろうか 偽りのない言葉
輝ける君の未来を願う 本当の言葉
移りゆく街はまるで 僕らを急かすように
さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる瞬間を信じ
泣くな友よ 今惜別の時
飾らないあの笑顔で さあ
さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散る道の上で
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突然、日本語で歌い出す車内のラジオ放送に、驚いて聴き入ってしまいました。反日、抗日の雰囲気の中で、『何と民間は鷹揚な国ではないか!』と思わされました。「北国の春」も、街中を歩いていると聞こえてきていました。歌は、国境や敵対の感情を超えて、歌われ聞かれるのです。
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下の息子が、自分の家の近くの満開の桜を撮って、送信してくれました。車に乗らなくなってしまい、その上、行動範囲が限られてしまった今だからこそ、名所ではなく、近所で咲く桜花に目を向けられて、それを愛でることができて感謝なのです。昨日は、市役所に連れて行ってくださった若いご婦人が、市内大平の「桜トンネル」に案内してくださいました。咲くもよし、散るもよしのそこかしこです。
(東京の桜と栃木の山里、大平の桜二三題です)
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