憎むこと

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 「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。(1ヨハネ3章15節)」

 あるアメリカの動物園に、〈一番こわい動物〉という案内が掲げられた檻がありました。恐ろしい猛獣、怪獣が何か興味津々で、その檻を覗いたら、鏡があって、そこに見学者の顔が映っていたそうです。腹を立てるよりも、事実、あらゆる動物の中で、人間ほど怖い生き物はいないのは、当を得たことでうなずいてしまいます。

 確かに人間は、そこまで悪くなれるのかと震えるほどの怖さがあります。おびただしい人を殺した政治指導者、独裁者、虐殺者として名が挙げられるのは、ドイツのヒトラー、旧ソ連のスターリン、中華人民共和国の毛沢東、カンボジアのポルポト、ウガンダのアミンです。そこまで人は残忍、冷酷になれるのに震えてしまいます。

 百獣の王ライオンは、無目的に襲って、傷付けたりしないのです。その日の家族の食料になる分だけを襲って、捕獲して、子に分けてその日の分に当てるのです。熊が流れの中に入って、遡上する鮭を捕獲するのも同じです。家族を養える分だけ、生きるためにしか襲わないのです。

 ところが人間は、恐怖心や憎しみに駆られたり、復讐心に燃えて、人の命を奪います。警察庁によると、殺人の動機には、「怨恨」,「憤怒」,「痴情(のもつれ)」,「けんか・口 論」,「(暴力団)抗争」,「心中目的」,「遊興費欲しさ」,「借金 返済」,「生活苦」などを列挙しています。上記の様なことばがあります。

 人を殺す前に、人の心の中にあるものが、使徒ヨハネによって挙げられていて、「憎しみ」だと言っています。ヨハネは、人を憎んだ時に、殺人が始まっていることを言っているのです。心の思いの中で、相手の死を願うほどの「憎しみ」を抱く時に、すでに殺人を犯しているのです。

 ずる賢いのも人間でしょうか。罪を犯したのは事実なのに、『私の〈未熟さ〉が、そんなことをさせたと!』 と、自分の責任ではないかの様に誤魔化し、全く筋違いなことを言っている輩がよくいます。微塵も罪の呵責がないのです。警察がいるのは、そんな言い訳が効かないからです。流行りの詐欺だって、性差別も、人種差別も、人の命の尊厳を阻害する〈殺人行為〉に違いありません。

(世界最古のオーストリアのウイーンにある「シェーンブル動物園」です)

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