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以前、「ビジョンの肖像」という本を読んだことがあります。トミー・バーネットという方が書かれたもので、ロスアンゼルスの下町で、慈善活動をされておいでになり、その奮闘の記録なのです。繁栄の国、アメリカにも、その繁栄から取り残された人々が沢山おられるのです。失業、貧困、心身の損傷などで、社会から取り残された、あらゆるものに恵まれない人々のことです。このような方々のために、ご子息のマシューを支えながら共に働いておられるのです。「人に夢を与えたい!」という意味からでしょうか、その施設を「ドリーム・センター」と呼んでおられます。大きな病院施設を買い取られて、再利用されておられます。彼自身は、アリゾナ州のフェニックスで、主な事業を展開されておられ、親子四代の実業家の家庭の人であります。最近ご子息が、お仕事の責任を受け継がれたようですが。
アイオワの片田舎で働いていたとき、彼は、父君がお元気の間、毎日曜日の夜になると、必ず電話をかけたのだそうです。その時、彼のお父さんは、悲しい出来事があったときは、一緒に泣いてくれ、嬉しくて仕方はない話をすると、共に喜んでくれたのだそうです。これを読んで、自分が、父親にそれだけの敬意や委ねや感謝をしていなかったことを思い知らされたのです。もちろん父の存命中は、父に相談をしたりしたことは、あまりなかったのを悔やみますが。私が結婚を決意したときに、父は、竹山道雄の書物を買って来て、『雅、これを読め!』と渡してくれました。「ビルマの竪琴」の著作で知られた作者の作品でした。自分から離れていってしまうような恐れを感じたのでしょうか、父は自分のそばに私を引き戻そうとして一計を案じたのだと思います。父の思い通りになりませんでしたが、父のほうが、私に歩み寄ってくれて、同じ人生観、世界観、価値観に立つことが叶えられたのです。
このトミー・バーネットが5才の時のことです。彼の誇りのお父さんがオフイスから泣きながら帰って来たのだそうです。その父をお母さんが慰めていました。それを見ていた彼は、父を泣かせるようなことをした大人たちを懲らしめようとして、お父さんのオフイスに飛んで行こうとしたのです。ずいぶんと激しい気性を持った5才の坊やではないでしょうか。ところが、お父さんは、彼の手を、しっかりとつかんで引き止めて、オフイスに行かせなかったのです。そんな子供時代の出来事が記してありました。そのような豊かで優しい感情の持ち主だったからでしょうか、大人になっても、その心を忘れなかったのです。『だれも届こうとしない人たち、ギャングや売春婦や体や心の不自由な人に、愛や親切を伝え、希望に溢れ、夢を見て生きていただきたい!』と言うのが、彼の人生哲学なのであります。
どんなに強く見える父親にも、弱さがあるのを、子は、やがて知るのです。『世界で一番強くて、賢くて立派なんだ!』と、幼子は父親像をふくらませるのですが、やがて〈普通の父親〉に直面してしまうのです。そう、父子関係が別のステージに移っていくわけです。私は、父の涙を目撃したことがあります。『父は父なるがゆえに父として遇する』という言葉を学んでから、もう一度、やり直せたら、父に何でも話そうと思いました。そうしたら、親爺は一緒に泣きも喜びもしてくれるのだろうと思ったのです。そして親不孝の私を、きっと赦してくれるのだろうと思ったのです。でも、やり直しがきかないまま、結婚式を上げた翌月に、父は不帰の人となってしまったのです。
でも、不思議に、「父には再会できるのだ!」という思いがあるのです。不思議な感覚です。父の腰から出て、父の年齢をはるかに超えて生きている私ですが、私よりも若い父に会えるという期待感が、心のなかに広がっているのです。一緒に泣き、共に喜んでくれる父に、孝行息子でいたかったのです。温泉にも、柳川を食べにも、万里の長城にも一緒に行ってみたかったのです。でも、更に素晴らしいい都で、きっと再会できると思うのです。これって妄想でしょうか。
こんなことを書いていたら、お父さんとの確執で苦しんだ友のことを思い出してしまいました。憎んでいながらも、お父さんに会うと、お小遣いを渡していた彼も、心の中では、切々と父を追慕し求めていたのでしょうか。「エデンの東」のギャルのようです。友のお父さんも、すでに召されていますが。うーん、人生は短いですし、思ったようには展開しませんね。やり直しが効かないことが、人生の凄さ、現実なのでしょうか。また、「エデンの東」を観てみたいものです。
(写真は、アリゾナの州都「フェニックス」です)