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孤独といえば、まず思い当たるのは、子どもの頃に、食い入るようにして読んだ、「ロビンソン漂流記」の主人公、ロビンソン・クルーソウの生活ぶりではないでしょうか。絶海の無人島に漂着して、たった一人で隔離、孤立、疎外を味わう、寂寥(せきりょう)を強いられた人ではないでしょうか。
何だかハラハラして読んでいたのを覚えています。子どもの私は冒険物語として、孤島での生活に憧れて、海のない内陸の街で、林の中や、穴掘りをして、「基地」を作って遊んだのが楽しく思い出されます。ロビンソンは、28年も孤島で過ごしたのを知ったのは、大人になってからでした。
作家のダニエル・デフォーが描いた孤島での生活を、経済学者のマックス・ウェーバーが、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で言及していました。このロビンソンは、その孤島で、生き抜いて行くことを決断します。それで、難破船の中に残された、たくさんの道具や資材を活用するのです。筏を組んでは、その必要な物を島に運んでは、上手に使って生活をして行きます。
彼は、生活の基盤をしっかり作り上げていくのです。相応しい住環境を考え、家を作るのです。そして生活圏を定めて、土地の「囲い込み」をします。中学の歴史の授業で、「エンクロージャー」のことを学んだのです。イギリスで牧羊が盛んになって、羊毛工業が起こって行く時に、地主から借りた牧羊地を、柵を用いて囲い込んだのです。まさにそれは、「資本主義的農業」でした。
ロビンソンは、その島で、ヤギを三頭捕まえるのですが、貴重な爆薬を無駄にしないようにして、鉄砲を使わずに、罠をかけて、落とし穴に落として、生け捕りにします。食べてしまえばおしまいですが、「エンクロージャー(囲い込み)」の中で、繁殖させ、必要に応じて食用にしたり、皮で様々な皮製品を作っていきます。つまり計画的、生産的にことを運んでいくのです。
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貴重な火薬は、樽ごと引火して爆発して失ってしまわないように工夫をします。そのために小袋を縫って作ったりもしました。その中に、濡れて使えなくならない様に、入れて保管するのです。それは、危険を分散させるのですが、これこそが「保険」の発想でした。不安を解消するために、当時、「保険」が経営上必要なこととして、イギリス国内では認められ、広められていきました。
また、船から運んできた袋から、偶然に土の中に落ちた麦や米が、芽を出し、実をつけたのです。『6月の下旬頃であったが、実りの季節がきたとき、私がその大麦の穂をていねいにつんだことはいうまでもない。1粒1粒大切にしまっておいたのも、もう一度それを全部まいて、パンを作るのに充分な収穫をやがてはあげたいと願ったからだった。』とロビンソンは言っています。それを収穫して保存した麦を、次の種蒔きの時期に、畑に蒔いて、より多くの小麦を収穫して行くのです。
それはイングランドのヨークシャーの中産階級が抬頭していく様子を表しているように描かれているのです。行き当たりばったりの不安定な生活ではなく、実に計画的に生活がなされていきます。ロビンソンは、そういった生活のために、残された資材や道具を上手に活用して行くのです。
ロビンソンは、「時間」も管理していきます。孤島に上陸した。1659年9月30日の上陸日に、上陸地点に、一本の四角に削った柱を立てます。あおの柱に、一日一日をナイフで刻んでいくのです。日曜日毎には、刻みの長さを倍にし、月の第一日には、さらに倍の長さにして刻んだのです。日、週、月をはっきり記録し管理したのです。365日が経った時、彼は、その日を特別な日して記念します。断食し、礼拝までしています。敬虔な信仰者の生き方をするのです。
内村鑑三の弟子で、マックス・ウェーバー経済の学者であった大塚久雄も、「近代化の人間的基礎」の著の中で、『ロビンソン・クルーソウの孤島での生活ぶりは、まさしく、当時のイングランドの初期産業ブルジョアジー(小ブルジョア層)のそれにほかならかったと私には思われる。』と言っています。こういった生活を28年間の長きに亘って、彼がすることができたのには、驚かされたわけです。さらに彼の生活の基軸に、聖書朗読や祈りや礼拝があったのです。ですから冒険談だけではなく、創意工夫にあふれた堅実な生き方のモデルがありそうです。
若かった日の、ロビンソンの〈一か八か〉の投機的な荒稼ぎの生き方から、父が教え諭し、訓戒していた《中産階級的な生き方》に、孤島で戻って行く物語なのです。生き生きとして、ロビンソンが生きている姿は魅力的です。合理的であるのが素晴らしいのです。現状が打開されて行くために、孤独を跳ね返して生きて行くたくましさも感じられます。
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