モンタナ

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 100年ほど前のアメリカのカントリーサイドにある、小さな街の家族を描いた映画を観た私は、大変大きな感動を呼び起こされたのです。きっと、自分の原風景と似たものが、そこに映し出されていたからなのだと思われます。映画の題名は、” A River Runs Through It “ でした。1993年に、日本で公開されたものです。” wikipedia “ に、次の様にあらすじがあります。

 『舞台は1910 – 1920年代のアメリカ合衆国モンタナ州ミズーラ。第30代大統領クーリッジ(在位1923年~1929年)、T型フォード全盛の時代である。スコットランド出身で厳格な父のマクリーン牧師、真面目で秀才の兄ノーマン、陽気な弟ポール。三人に共通する趣味はフライ・フィッシングだった。ノーマンはやがてマサチューセッツ州ダートマスの大学に進学して街を離れる。ポールはモンタナ州の州都ヘレナで新聞記者をしつつ、ポーカー賭博にのめり込んでいた。
大学を出て街に戻ってきたノーマンは独立記念日にジェシーと知り合い、二人は付き合うようになる。やがてノーマンにシカゴ大学から英文学の教員の採用通知が届き、ノーマンはジェシーに求婚する。ノーマンが就職のためにシカゴに向かう直前、ノーマンとポールは父親とともにブラックフット川に釣りに出かけ、ポールは大物を釣り上げる。だが翌朝、警察から連絡があり、ポールが何者かに殺されたことをノーマンは知らされる。』

 お父さんは、厳格なピューリタン系の牧師、すべてを包み込んでしまう様な優しいお母さん、この両親の間に男の子二人の兄弟の家族が登場します。兄のノーマンが回想して著した、小説の映画化なのです。彼と弟の「ふるさと」での少年期から青年期に至る情景が描かれています。性格や願いの違う兄弟が、それぞれに成長して、自分の道を生きて行くのです。
 
 お父さんの唯一の趣味が、フライ・フィッシングで、息子たちに釣りの手ほどきをお父さんがし、三人一緒に、ミズーラの川に出かけるのです。成長と共に、お父さんを凌ぐ腕前になった弟のポール、それを暖かく見守るお父さんの優しい目が印象的でした。家では、お母さんが作る質素な食事の食卓を囲んで、食事の感謝の祈りがなされる、典型的な百年前のアメリカの家庭風景が見られます。

 アメリカ人起業家の恩師が、ご自分の母国で育った家庭での話を聞いたことがありますが、そんな背景があって、大変、この映画に感銘を受けたのかも知れません。恩師は、裕福な家庭で育った方でした。大学から帰省すると、お父さんが、地下にある冷蔵庫に吊り下げられている牛の一番良い部位を、ステーキにして焼いて食べさせてくれたのだそうです。

 そんなことで、この家族が過ごしたモンタナに行って見たくなった私は、当時、娘たちが学んでいた、アメリカ西海岸の街のオレゴン州に出かけた折に、二人を誘って自動車旅行に出かけたのです。ワシントン州、アイダホ州、モンタナ州、ワイオミング州と一週間ほどでした。ロッキー山脈を越えて、結構長い距離を、娘たちが運転してくれました。

 都会には、さほど興味がないのですが、アメリカのほとんどの部分は、小さな街で、そこで堅実な生活を、みなさんがして、アメリカを支えているのが、よく分かったのです。ある街で、レストランに入り食事を注文しました。ウエイトレスが運んできたスープがぬるかったのです。娘たちは、言い訳する彼女に、はっきり交換を要求していました。しっかり自己主張をしながら、異国に文化圏で生きているのを知って、安心したのを覚えています。

 もちろん、映画に描かれたモンタナは、時代の違いこそあれ、映画の描いた当時の息吹を感じられるほどで、満足でした。アメリカ中にある風景、いえ全世界で見られる田舎の風景だったのです。ある街の人気のない公園で、スーパーで買った燭台で、バーベキュウをしたのですが、火を心配したパトカーがやって来たりしても、娘たちは上手に対応していたのに感心しました。

 繁栄の国の屋台骨を見て回った一週間でしたが、清教徒の願いから建国された国で、娘たちも、息子たちもある時期、教育を受け、生活をしたことへの感謝も湧き上がった時でもありました。義母は終戦後に、母は少女期に、この国やカナダからやって来た人たちと、出会って、人生の祝福に預かっているのです。その国の大統領選挙が迫っています。相応しい最善の器が選ばれ、娘や孫たちの暮らす国が、再び輝きます様に!

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