若い日に

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 若い頃に起こった衝撃的な事件がいくつかあります。その一つは、三島由紀夫の自刄事件でした。あの大戦が終わって25年経った1970年11月25日に、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で、起こった事件なのです。

 当時、私は、学校の教師をしていました。水曜日の午後は、「研修日」という半日休暇の日だったでしょうか。学校の近くの食堂で、お昼をとっていた時に、テレビで、その事件を現場中継で放映していたのです。大きな衝撃を覚えつつ観たのです。

 作家である三島由紀夫は、「楯の会」を結成します。この会は、民間防衛を目的とし、日本を侵略戦争から守ろうと、若者たちに呼び掛けて結成していました。万葉集に、「今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ吾は」とある防人の歌から命名した会でした。自衛隊への体験入隊などを繰り返して準備していたのです。

 その会の5人の会員と共に、市ヶ谷駐屯地の東部方面総監と面会をします。要求が入れないのを知ると、突然、総監を人質にとって、自衛隊の本丸に篭城してしまいます。それからバルコニーに立って、自衛隊員の決起を呼びかけるのです。ところが聞き入れられないのを知って、三島は割腹自殺をしてしまうのです。三島由紀夫、45歳でした。

 この三島の心の動きや生育歴を、上智大学の元教授の福島章は、次の様に記しています。幼少期の三島は、病弱でした。それで、祖母は、近所の悪戯小僧との遊びを禁じて、三人の女の子との遊びだけが許されて、子ども時代を過ごしています。母親ではなく、祖母の手で育てられ、産みの母親の乳房や膝の上での時間を奪われ、老女と過ごす時間が多かったのです。

 三島の著述から、性的倒錯の背景を、福島章は読み解いています。男性性の弱かった三島は、剣道に打ち込んだり、肉体改造のためにボディビルディングをして、たくましく筋骨隆々とした外観を作り上げていきます。きっと、ノーベル文学賞に近い作家になれた人だったかも知れませんが、その辺に三島の強烈なコンプレックスがありそうです。

 理想的に生長する人は、ほとんどいないのですが、人は誰もが、どこかで修正したり、補ったり、捨てたりしながら、正常を保って生きて行くのでしょう。三島の様な幼児期、少年期を過ごした人が皆、倒錯するわけでもありません。どこかでスイッチが入れ替わってしまうのでしょうか。

 私は三島の文学フアンではなかったので、彼の作品は一冊も読んでいませんが、この歳になると、彼の行動の中に、異変や異常がみられるのに気付きます。三島由紀夫の理想や夢に傾倒し、共に自害した青年が一人いました。私より一学年下の早大卒の森田必勝です。

 左翼も右翼も、暴力や武力で、国を変えようとしていました。ついには裏切りや騙しごとが溢れて、真に一つとなれなかったのです。主導権争いや利権が働き、みんな挫折してしまうので、世の中に「平和」をもたらすことができずじまいでした。

 私の愛読書に、『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。』とあります。国を変える前に、《自分が何者であるか》を知らなければなりません。

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