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誰でも叩くと、埃が立つのですが、立場をとると、ああでもない、こうでもなくと色々言われてしまう様です。退任される安倍晋三首相に、心から『ご苦労様でした!』と労を労(ねぎら)いたい思いでおります。
中国にいました時に、よく学生さんたちに質問されたのは、『日本の総理は、どうして変わってばかりいるのですか?』でした。中国は、一度、総主席が決まると、8年の任期をし通します。今の主席は、終身総主席になろうとしていますが、テロや政変がない限り、立場を堅持し続けます。
でも、自分たちが領導を選ぶことのできないジレンマで、日本の政権の短さを、そう言ったのです。ところが、安倍首相は、七年有余、歴代最長の任期を遂げたのです。それでも、アメリカは、一般的に八年、今の中国が終身なのに比べると、短期です。私は、第52、53、54代を務られた、鳩山一郎首相を覚えています。新聞で、子どもの目で見た温厚なお顔が印象的でした。
今回、新しく菅首相が選任されることになりましたが、新しい首相が選ばれるごとに、私は、思い出してしまう方がいます。それは、第32代内閣総理大臣をされた広田弘毅氏です。戦時中の首相を務められ、戦後の東京裁判で、A級戦犯で裁かれ、文人で唯一死刑の判決を受け、処刑された方でした。ものの本でしか知りませんが、その名の如くに、その《毅然さ》に驚かされたのです。
この方は、いわゆる秀才でした。石屋の子として生まれ、石屋になるように、親に願われていましたが、周りの人の勧めで、上級学校に進学して行きます。子どもの頃から、『日本のためになろう!』という願いをうちに秘めていたそうです。当時は、軍国主義が勢いを増していた時代で、軍人志向が強かったのですが、この方は、優れた「外交官」になろうと考えていました。
父からもらった名は、「丈太郎」でしたが、論語の『士不可以不弘毅(士は弘毅ならざるべからず)』という教えに感銘を受けて、「弘毅(度量が広くて意志が強いこと)」に変えています。「高等文官試験外交科」に主席合格するのですが、名門の出ではないとの理由で、冷遇されてしまうのです。それで重要国でないオランダに赴任しますが、その時、こんな句を詠んでいます。
風車 風の吹くまで昼寝かな
そんな待遇に中、昼寝ではなく、読書三昧(ざんまい)で時を過ごした人でした。結婚も、家柄がよく、出世の助けになるような女性ではなく、無名の人の娘を、郷里の福岡から、妻に迎えて、生涯愛し続けています。結局、敏腕な外交官でしたから、戦局が拡大して行く中、手腕を買われて、外務大臣の職を任せられます。そして、総理大臣の重責を負います。後に問題とされた、「満州事変」や「南京攻略」の時の「虐殺事件」の時期に政権の最高責任者であったのです。
その責を問われ、裁かれ、死刑判決を受け、処刑されたのです。法廷では、自分に有利な証言をするように、弁護人に勧められても、他の被告の不利にならないようにと勧められますが、泰然自若、助命嘆願など一切しないで、慌てふためくことなく自己弁護を一切しませんでした。驚くことに、広田弘毅氏が亡くなる前に、静子夫人は、自死されます。
妻を愛し、子を愛した人でした。一番は、「自ら計らぬ人」であったことでしょうか。私は、自分の祖父の時代人である広田弘毅が、「潔(いさぎよ)い人」であったことに感じること大であるのです。それで、私のペンネームは、「広毅」なのです。名門出でない新首相に、広田流の「潔さ」を求めたい秋の朝です。
(福岡市の市花の「芙蓉(ふよう)」です)
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