私の終戦

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 『戦争中だったら、予科練に志願したかった!』と、母に、中学生の私は言ったことがありました。そう言った私に、母は、『海軍兵学校に行った方がいいわ!』と応えました。予科練は一兵卒、広島の江田島には、海軍士官養成の士官学校があったので、母の思いを知って、少々意外でした。

 娘時代、母が憧れた人は、江田島兵学校の学生だったからです。腰に短剣を下げて、詰襟の制服を凛々しく着こなした、紅顔の美少年たちでした。母の古ぼけた写真集に、それと思しき青年の写真があったのです。父に出会う前の、十代の母の憧れの人だった様です。

 母は普通の娘で、軍人家族ではなかったのですが、戦時下では、今様のアイドルは、軍人、兵学校の学生だったのでしょうか。国防に命を捧げた青少年たちの大きな犠牲の上に、今の時代があるのでしょう。いつの世も、敵も味方も、青年たちが戦さ場に赴き、尊い命を国にために捧げたのでした。

 戦争を聞いてしか知らない、戦争末期生まれの私は、父が軍需産業に従事した技師だったのですが、熱烈な軍国主義者ではないのに、叔父の仇を打つこと、多くの命を奪った敵国に復讐をしたいと思ったほど、自分が軍国少年を気取っていたのは、実におかしなことでした。

終戦を八ヶ月で迎えた私は、父が軍務を果たすため、家族と中部山岳の山中にいました。聞いたことはありませんでしたが、どんな思いで、父と母は終戦を迎えたのでしょうか。「十七文字の禁じられた想い〜戦争が終わった日の秀句1000〜(塩田丸男編著)」に、次の様な俳句があります。

 戦終わる児等よ机下より這い出でよ

 おさげ髪ぱらっと解いて敗戦日

 敵機こないこんなに広い夏の空

 流星やまざと脳裏に日本の地図

 なにもかも終わる愛馬の汗をふく

 内地、外地、戦場で詠んだ1000句は、私の8ヶ月目の日の出来事を知らせてくれたのです。どなたも実に重い言葉と思いとで詠んでいます。『もう、あんな酷い、理不尽な体験を、誰にもさせたくない!』という想いが伝わってきて、酷暑の夏空を見上げたところです。

(〈フリー素材〉の真夏の積乱雲の青い空です)

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