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 最初に手に入れた自動車は、いすず製の「ベレット」でした。私たちの事務所を建てるために、東京の本社が、土地を購入してくれたのですが、その地主さんが、『息子が乗らなくなった車が東京にありますから、使ってください!』と言われて、頂いたものです。本当に小さな車でしたが、それ以来、兄の載っていたのをもらったり、中古屋で買ったり、友人から頂いたりで、これまで15~6台乗り継いできたでしょうか、すべてが相当に古い代物(しろもの)でした。最後の車も、自動車販売店が都合してくれて、無料で2年ほど乗せていただいた、トヨタ製の「カローラ」でした。わが自慢は、《新車に乗ったことがない》ことなのです。《分相応》ということばがあります。goo辞書によりますと、『[名・形動]その人の身分や能力にふさわしいこと。また、そのさま。応分。「―な(の)生活をする」 』と出ております。《高望み(『[名](スル)身分や能力以上の高い望みをもつこと。分不相応な望み。「―しないで分相応な生活を送る」 』)》しないで、この40年来、まあつつましく車も利用してきました。

 仕事の仲間に、日系ハワイ人がおられましたが、この方も、高級志向ではなく、『車って、動けばいいんですから!』と低燃費の経済車に乗っておられましたが、今はどうされておいででしょうか。それとは逆に、『僕は、いい物好みで、高級車でないと!』と言って外車に乗ったり、『社員が、この車に乗ってくださいと、プレゼントしてくれました!』と言って「セルシオ」のような分相応の車に、颯爽と風を切って乗って、言い訳しておられる方もおいででした。

 何時でしたか、ポートランド旅行をしたことがありました。その隣にビーバートンという街があって、そこにモデルのような研究所がありましたので、そこを訪問しました。その所長さんに、「ベニハナ」という日本レストランでご馳走になったとき、同席していたのが、アメリカで有名な〈ソース〉を製造販売している、サクセスストーリーの主人公の社長さんでした。日系移民の方で、辛酸労苦の末その成功を手に入れたのだと、言っておられましたが。彼が、この所長を、こう語ってくれました。『わたしたちの業界でも、彼のような業種でも、有名になったり成功したりすると、着ている背広と乗る車が変わるんです。ところが友人のロンは、そういったことに全く頓着しないのです。背広や乗用車で、自分の成功度をアピールしないのです。そんな彼の謙遜さが好きで、長年交わりを楽しんでいます!』とです。そのような評価を聞いたとき、彼は、どこから見ても素人が手で編んだ、ちょっと寸法違いなセーターを着て座っていました。『これ、年取った母が編んでくれたものなんですよ!』と、誇らしげに着ていましたので、納得させられたのです。

 昨日のMSN外信ニュースに、《車の格、人の格》という記事が載っていました。中国駐在の日本大使の車についてのコメントでした。『経済大国の日本の駐在大使が、中型セダンに乗るには、日本の顔として相応しくない!』との意見です。〈格〉って何でしょうか。以前、車で、姫路、伊予三島、宇和島、別府、熊本、門司神戸、東京と旅行をしたことがありました。すぐ上の兄が使い古した、トヨタ・カローラでした。エンジンは抜群に良かったのですが、車体は錆びて穴が開いて、相当の年代物でした。それに乗って行きましたら、『こんな車に乗って、よく来ましたね!』と感心されたのか、呆れられたのか、そう言われてしまいました。

 年相応、立場相応の車の格や、背広、住宅、学歴などがあるのでしょうか。会社の部長や重役になったりすると、東京だと、三多摩や墨田区では駄目です。麻布、代官山、奥沢などに住まないと、格に合わないのでしょう。セルシオやベンツやBMWに乗らないとみっともないのでしょうか。私の家内が、学年の委員長をしていたときに、ある父兄から、『廣田さん、みっともなから自転車なんかに乗って、ホテルに来ないでください!』と言われたことがあったそうです。委員長に相応しい乗り物ってあるのだと、初めてその時に気づいたのです。家内は、何を言われようと飄然として、自転車で風を切ってホテルの会合に向かっていました。いいじゃあないですか、何に乗ろうと何を着ようと、どこに住もうと、犯罪を犯しているのでも、人に迷惑をかけてもいないのですから。

 人間の格付けというのは、車や背広や住宅などのよるのでしょうか。『人格」は、goo辞書によりますと、『・・・②すぐれた人間性。また、人間性がすぐれていること。「能力・―ともに… 』とあります。人間が優れているのであって、乗り物や着物などの持ち物にはよらないわけです。ヤクザや詐欺師は、超高級車に乗っていても、社会的には真っ当ではないし、心が貧しいのですから、格が高いとはいえませんね。心の中に何を宿しているかによって、その人の格や価値が決まるのではないでしょうか。よく血統書付きの高級犬を連れて得意満面で散歩している方と、この街でも出合います。この犬は、どこででも排尿や排便をしています。犬は犬であって、いい犬を飼っているからって、得意になったり優越感にしたっているのは滑稽なことです。もっと高尚なことの中に、「格」が定まっているに違いありません。きっと棺桶に入って、人は再評価されて、初めて、高・中・低と格付けされることになりそうですね。私の評価をしています。ある方は〈高〉、ある方は〈低〉、そこにねずみがやって来て、『チュー(中)』と一声・・・・・。

(写真は、1964年当時のいすゞの乗用車「ベレット」です)

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