北方領土

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 樺太も含めて、「北方四島の領土返還」は、この島々を故郷とする人たちの悲願です。網走から、海を隔てて、歯舞諸島を眺めたのは、高二の修学旅行の時でした。その島々から、アラスカまで続くのが、アリュシャン列島(千島列島)です。行ったことのない、北端の島々ですが、いつか行きたいと思っていた北の果てなのです。その島々を歌った「アリュウシャン小唄」がありますが、島民のみなさんんは、どんな思いでお聞きになることでしょうか。

逢わぬ先から お別れが
待っていました 北の町
行かなきゃならない アリューシャン
行かせたくない 人なのに

どうせ私は にしん場の
街の夜風に 咲いた花
こんどあなたの 帰るまで
咲いているやら いないやら

灯り凍てつく ノサップの
海を北へと急ぐ船
男なりゃこそ唇に
含む笑顔も辛かろう

雪に埋もれた歯舞にゃ
死んだ親御の墓もある
飲ませてやりたや好きな酒
あなた代わりに注がせてね
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 知人に、稚内から続く樺太の出身の方がおいででした。太平洋戦争末期に、攻めて来たソ連軍の攻勢を避けて、離島して本土に逃げたのだそうです。どんな生活が樺太にはあったのでしょうか。朔北(さくほく)の凍てつく島とは、どんな寒さなのでしょうか。

 そのアリュウシャン列島からの渡来は証明されていませんが、樺太を経て、アジア大陸から渡来したであろう北方人たちが、持ち来ったのが、「オホーツク文明」だったそうです。黒龍江(アムール河)やイルクーツク辺りから渡来したのだと言われています。その文明の遺跡が、北海道には点在していています。網走のモヨロ遺跡が有名で、一度は訪ねたいのです。

 かつてロシア(旧ソ連)が実効支配した南樺太の豊原には、18万人もの人がおり、1959年に消滅した歯舞の村には、6000人ほどの人口があったのですから、悲願のままでは、敗戦国の悲哀の旧住民や、その子や孫たちには、やりきれないことでしょう。こんな行きたがり屋の私の願いは叶うのでしょうか。それに寒がり屋でもありますので難しそうでもあります。

(歯舞諸島の多楽島小学校の昭和12年の運動会の様子です)

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