わたらせ渓谷鉄道の旅

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昨日は、『出掛けてください、あなた!』と言う家内に押し出されて、栃木駅から両毛線で桐生駅に行き、桐生駅で「わたらせ渓谷鉄道」に乗り換えて、足尾駅まで出掛けてきました。全線41.1kmの、ジーゼルエンジンの気動車でした。この鉄道事業について、日光市の案内などに、次の様にあります。

『足尾銅山を支えた物流システムは、当初は近世街道を主要経路とし、馬車道や鉄骨橋梁(古河橋)の整備、簡易軌道、馬車鉄道、架空索道、足尾鉄道の開通まで、多様な方法が行われました。地表の軌道や道路のみならず地下や上空も利用して、立体的かつ複雑な物流ネットワークが形成されました。また、足尾銅山は、日本で民間初の私設電話が架設された場所であり、足尾銅山全域と関連施設を対象に独自の電話網が整備されました。

わたらせ渓谷鐵道の前身である足尾鉄道は、足尾銅山の貨物輸送を目的として1911(明治44)年4月15日に下新田~大間々間で開業しました。その後、神土(現・神戸)まで、沢入まで、足尾までと部分開業を重ね、1914(大正3)年8月26日に足尾本山まで全通しました。最初に開業した下新田~大間々間が、まもなく2011(平成23)年4月15日に開業100年目を迎えるのを皮切りに、2014(平成26)年8月26日まで開業100年目ラッシュが続きます。足尾鉄道~国鉄~JR~わたらせ渓谷鐵道と続いた鉄路は、貨物輸送から観光客輸送へと形を変えながら、今なお輝き続けています。・・・平成21年には、足尾駅や通洞駅などが、「国登録有形文化財」に指定されています。』

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単線の鉄道ですので、途中駅で、上下線の待合停車時間が、5分ほどあって、電車の運転手の方に話しかけて、お話を聞かせてもらいました。「わたらせ渓谷鉄道」には、31年の歴史があり、この方が入社した当時、旧国鉄・足尾線時代に運転手をされていた方がいて、この鉄道にまつわる面白い話を聞かされたそうです。

『みなさんには楽な仕事に思われるんですが、神経を大変使って運転しているんです!』、『夜間走行時には、カモシカや日本シカが線路上に出てきて、轢(ひ)いてしまうことが、3週間に一度くらいあるんです!』、それで質問を私がしました。『事故処理は、どうされるんですか?』と、すると、『電車を止めて、線路上に降りて、自分でするんです!』と話されて、その為の道具の入ったカバンを示してくれました。

私の下の息子ほどの年齢の運転手さんで、いききと強い責任感をもって、輸送業務に当たられていて、実に爽やかな方でした。田舎の第三セクターの小規模の鉄道事業に従事されているのですが、JR新幹線の運転手に負けず劣らず、素敵な笑顔と凛々しい男の顔を見せて運転されておいででした。

足尾駅からは、日光市営バスに乗車し、山道を走って、東武鉄道日光駅で下車し、そこから東武日光線で帰ってきました。行きの電車には15人、帰りのバスには、途中で降りたご婦人を含め5人の乗客でした。前日が雨でしたから、緑が映えて、渓谷に流れも豊富で、何よりも空気が美味しかったのです。『あなた!』と言って送り出して家内に感謝した1日でした。家内は、訪ねて来られて友人と女子会でした。

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