代返

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私の学んだ学校に「百番教室」がありました。その教室で、「法学」の授業が開講されていたのです。一般教養の必修科目で、受講学生も多かったのですが、この担当教授が、名前を呼んで出席をとったことがありました。

大分県別府から入学してきた「古村潤(仮名)」を、教授が呼んだ時、ちょっと間をおいて、『はい!』と返事がありました。彼は出席していなかったのです。今もあるのでしょうか、〈ダイヘン(代理返事)〉だったのです。家を行き来する学友だった彼の〈ダイヘン〉は、なんと女子でした。教授は二度呼んで、二度答えた彼女に、なぜか『本当に君は古村潤なんだね?』と言って聞き、また彼女は『はい!』を答えたではありませんか。それで出席簿に記入したのです。

ところがこの教授は、卒業後の数年後にあった、古村の結婚式の媒酌人をしていたのです。彼と教授が、そんなに親しい関係だったのを、その時、初めて知って、驚いたのです。その教授は、体が不自由でしたので、足を引き摺りながら、教室に入って来て、教壇に上っていました。

聞いたことはなかったのですが、この先生は、彼の父君の部下だったのだろうと推察した私でした。大陸で、敗戦後の残留軍の指揮をとって、多くの部下を戦死させた悔いを、父君は感じていたそうです。内乱が落ち着いて、生き残りの部下を日本に帰還させる見返りに、自死して責任を取ったのが、彼の父君でした。部下の兵士と共に、帰国することもできたのにです。

ところが父君の上官は、部下を騙して残留させて、秘密裡に、初期に、日本に帰国していたのです。それが日本の旧軍の隠し持っていた弱さだったに違いありません。それに引き換え、彼の父君は「真正の武人」だったのです。

〈ダイヘン〉を断行し、押し通した女子も、なんと言う〈度胸女子〉だったことでしょう。遠くにいて、だれかを確かめられないままで終わりました。さらに、そう言って押し通した〈ダイヘン〉を見逃すことのできた教授も、事実を知っていたのに、実に心の寛い人だったのには驚かされたのです。これも青春の日々の面白い一コマであります。

(綺麗な別府湾の風景です)

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