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『人を見たらドロボーと思え!』とは、ずいぶん猜疑心の強い、〈人間観〉ですが、昨今は、『人を見たらコロナと思え!』と言い換えていて、敬遠、いえ忌避が普通になってしまい、人との関係が希薄、疎遠になってしまい、つまらない時代を迎えてしまいました。
先日、近くの公園で、ベンチに座ろうとしたら、すでに座っていた方が、家内が、日向に座らないでいい様に、自分の座っていた席を譲ってくれたのです。いたく感謝した家内と私と、この方と3人で会話が始まりました。
私より4歳ほど若く、長くダンプを転がして生きてきたそうで、昨年暮れに奥様を病で亡くされたそうです。闘病生活、病院談義、読んでいた本、自分は料理ができないで、出来合いを食べ繋いでいること、子どもがいないことなど、なにかと内輪話をされたのです。
孤寂(こじゃく)をかこつ、独りぼっちを語っておいででした。厳(いか)つい男性の様ではなく、事務系の仕事をして来た様にしか見えないのです。いくつかの公園に行っては、日光浴をしたり、相席の方と談笑して、食事時になると、スーパーで弁当を買いに行く日を重ねているとのことでした。
〈老い〉と〈孤独〉、これがわれわれ年配者の心なのでしょうか。それに、コロナ騒動で、人との距離が遠くなってしまっているわけです。家内は、携帯していたバッグの中にある小冊子を、この方に差し上げていました。亡くなられた奥様は、本が好きでいらっしゃったそうで、この方も感謝して受け取られました。
ヘミングウエイの「老人と海」の話を、英語の教科書で学んだことありました。キューバ人の老漁師とカジキマグロとの死闘を描いていました。その文中に、ライオンが、夢の中で登場します。若い頃の彼の姿を投影しているのでしょうか。力や若さを象徴しているのかなと、今になって思わされています。
そういえば、自分も、若かった頃の失敗や成功を思い出すことが多くなってきています。老いたからでしょうか。恥ずかしい過去の方が、はるかに多いのですが、それも皆ひっくるめて、自分そのものなのでしょう。『若者は幻を見る!』、しかし『老人は夢を見る!』と言われますが、家内は、よく夢を見ては、朝食の時に、その夢を話してくれます。
〈夢幻の如き人の一生〉と、人の世の儚さを言うのですが、様々に人と出会い、別れ、また再会したり、結構楽しい年月だったのが、私たちの共通することです。『難波のことは夢の夢!』と秀吉が言ったそうですが、《大陸のこと》は、思い出すたびに、実に祝福の時と出来事だったのです。そこに素敵な出会いがあり、自己発見も、国家間の過去の禍根の和解もありました。
(私たちの住んだ街に咲いていた「ブーゲンビリア」です)
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