転嫁せず

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Windmill, mill or bakery. Vintage hand-drawn illustration

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「責任転嫁」、自分が負わなければならない責任を、他人の所為にして、何食わぬ顔でいることです。どうして嫁を転ばすのでしょうか。漢和辞典によりますと、「嫁」という字が漢語で「よめ」の意味の他に、「嫁に行く」から転じて「売りつける、なすりつける」の意味も持っているのだそうです。それで、「嫁禍(かか)」、自分の災難を他人に押し付けることを、表すことばとして用います。

ちなみに、「嫁」の旁(つくり)の「家」は、家の意味を表すのではなく「か」という音を表すもので、「穫り入れる」との意味の「稼(かせ)ぐ」ことを言うそうす。そこから、「迎え入れた新婦」のことを、そう言う様です。さらに「稼」の偏の「禾」は穀物の稲を意味しています。それで、「家」が「佳(か)/よい」と同じ音を表すもので、穀物を植え、実らせ、農作業を行い、そう言った仕事に励むこと、稼ぐと言った意味を持っているそうです。

広田弘毅は、福岡県の出身で、元外交官、斎藤、岡田、近衛内閣時の外務大臣でしたが、南京事変の時点で、総理大臣の職にありました。その責を問われて、極東裁判で、A級戦犯で死刑判決を受け、処刑されています。広田は、公判中に沈黙を貫きました。『このままあなたが黙っていると危ないですよ。あなたが無罪を主張し、本当の事を言えば重い刑になることはないんですから』と勧められ、無罪を主張するよう促されても、それを拒んだのです。天皇や自分と関わった周囲の人が、不利になることを避けたからだと言われます。

同時期に、A級戦犯で訴追された被告たちのほとんどが、責任を自分で果さない中、『高位の官職にあった期間に起こった事件に対しては、喜んで全責任を負うつもりです!』と、広田は言って、責任転嫁などしませんでした。石屋の息子で、苦学して東京帝国大学を卒業した人でした。そんな出自の彼の方が、真実な心意気を宿した《気骨の人》でした。

『東條に唆(そそのか)されて仕方なく!』とか『時の巡り合わせが良くなかったから!』とかの言い訳や、責任転嫁をまったくしなかった、潔い人でした。広田の静子夫人については、次の様に記されています。

『広田の妻・静子は、東京裁判開廷前の1946年(昭和21年)5月18日に鵠沼の別邸で服毒自殺している。自殺の理由として、国粋団体の幹部を親に持つ自分の存在が夫の裁判に影響を与えると考えていたためとされている。死因は初め狭心症と発表されており、自殺であったことは1953年(昭和28年)の広田の追悼記念会で公にされた(ウイキペディア)』とです。

(オランダ公使の折、『風車、風が吹くまで昼寝かな』と詠んだ広田弘毅です)

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