恋文

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入院中の家内が、して欲しくなかったことや聞きたくなかったことが、いくつかありました、いえ、今もあります。検査結果がなかなか出てこないで、治療法が定まらなかったのです。気管や食道や血管が、腫物で圧迫され、食べられず、息苦しく、むくみ、体重が減り続けていました。ところが血液検査は毎日行われ、『そんなに血液を抜いていいの?』と家族としての想いが募ったのですが、血液検査の数値だけが、病状を教えていたのでしょう、検査が続けられていました。

まさに、生死の境を彷徨(さまよ)っていたのです。それで血液製剤を点滴するために、頸部に、透析をされる方が手首に、カテーテルを留置する手術が行われる様に、留置手術が行われました。それは生命維持の最後の手段でした。体が、「管(くだ)」で繋がれることを、彼女は嫌っていたのですが、私は医師のその手術をお願いしたのです。

私は、中高と運動部にいました。大学も、運動部の推薦入学で誘われたのですが、一般入試で入学したのです。予科練帰りの先輩や、そう言ったOBに鍛えられた方たちから、ビンタやグラウンド上での正座や兎跳びや長距離走をさせられる、「根性論」で、しごかれました。おかげで、全国レベルの強豪校でしたが。

ですから、懸命に病と闘っている家内に、『頑張って!』と励ましていました。それを聞いた彼女は、『これ以上、どう頑張っていいの?』と、私に細い声で言ったのです。やはり、「精神論」の押し付けは、彼女には、一番辛かった様です。そんなことで、そう言った激励しかできない自分の病者不理解を悟ったのです。

それで、自分の愛読書と愛唱歌の中から、一節づつ選んで、《恋文》を綴って、洗濯をした着替えとを持って、宇都宮線に乗って、毎日見舞ったのです。時々、何かをコンビニで買って行きましたが、食べられませんでした。それらが、彼女への大きな励ましになった様です。そして、子どもたちや孫たち、古くからの友人や兄弟姉妹、華南の街の友人たちの来訪がありました。その時期、インフルエンザのため、面会謝絶が一ヶ月間続く時期もあったのです。

新薬の点滴が始まって、病状が回復してきて、医師が驚くほどの効果が出てきたのです。頸部に留置した針も抜かれ、尿管も外され、全部の管が彼女の体からなくなったではありませんか。主治医は、ついに『著効です!』、つまり治療の効果が、新薬の薬効が顕著に見られると言われたのです。

造影剤を入れての「PET検査」の新旧二枚の映像を見て、子どもたちも私も、歓喜したのです。まだ闘病中ですが、彼女は体重も増え続けています。通院以外の外出しかできなかった彼女は、同病の患者さんや医療従事者との交流会にも、近くの市立図書館にも、美術館にも、日曜日ごとに開かれる倶楽部にも、レストランにも行ける様になっています。

もう、『頑張って!』ってなんて、私は言いません。責任逃れの「精神論」や「根性論」を縹渺したり、強要したりしません。『よくやってるね!』と言って、次にできることに向かって、一緒に進むことにしています。家内は、どなたかにオンブされている様な、大きな背中に背負われている様に思えてなりません。

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