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「潮時」と言うことばも、誤用が多いと言われています。
平成24年度の「国語に関する世論調査」で、「潮時」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。)
(ア)ちょうどいい時期・・・・・・・・・・・ 60.0%
(イ)ものごとの終わり・・・・・・・・・・・ 36.1%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・ 2.5%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・ 0.4%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.0%
それで、「ものごとの終わり」と思って使う人には、「引き際」を使う方がいいそうです。「潮時」は、本来は、“ good timig” という意味で使われるべきなのです。
私は、学校を出てから5年間働いた職場を退職しました。その後、36年間勤めた職場を辞し、昨年まで、13年間、仕事をした中国から帰国しました。我が儘な理由ではなく、「引き際」を確信したからです。それが正しい決断であったかどうかは、転職後が、どうだったかによります。
『石の上にも三年!』と言われるのですから、5年も、36年も、13年も、《合格点》をもらっていいのかも知れません。何か知れない大きな手が、自分の将来を決めて導いているのを、何時も感じたのです。「潮」は、満潮で満ちてくる時と、引き潮で引いていく時が、交互になされていますので、好ましいことが満ちて到来した時と、引くべき時の到来と、自分に都合や感情で、使ってしまうのでしょう。
この場所の終了後、豪栄道というお相撲さんが、惜しまれつつ、相撲人生に終止符を打ちました。「引き際」を、よく心得た決断だった様です。体力よりも、気力の衰えがやってくると、激しい稽古を必要とする競技は、続けられなくなるのでしょう。誰にでも退潮の時、引退すべき時がやってきます。
称賛を一身に浴びたスターにも、どの世界の指導的存在も、一日に、朝があり、夕がある様に、「夕暮れ」がやってきます。ところが、私の愛読書には、『夕暮れに、光がある!』とあります。人生の晩期に、枯渇や闇ではなく、煌々と輝く光が溢れるのだと言うのです。私たちの明日が、光り輝くとしたら、今日を感謝と喜びで生きていたいと思います。
(“趣味のアウトドアー” からです)
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