百済

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わが国の最古の企業であるよりも、世界最古の企業として、今も営業を続けているのが、「金剛組(こんごうぐみ)」だそうです。今では株式会社化されていますが、その会社の沿革には、「紀元578年、聖徳太子の命を受けて、海のかなた百済(くだら)の国から三人の工匠が日本に招かれました。このうちのひとりが、金剛組初代の「金剛重光」です。工匠たちは、日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わりました。重光は、四天王寺が一応の完成をみた後もこの地に留まり、寺を護りつづけます。」とあります。

はるか飛鳥時代から数えて、1500年近くもの間、「宮大工」の仕事を続けているというのは驚き以外にありません。しかも、百済の国から、聖徳太子の招聘に応えて、やって来て、その技術を受け継いで、会社形式になり、吸収合併などを経た今も、競争の中で、残っているというのも驚きではないでしょうか。

私の父方の家系は、どこから始まっているのでしょうか。母にも家系があるはずですが、残された記録がないところが、神秘的で好いのではないでしょうか。もっと遡ると、どこまで遡らなければならないのでしょうか。大水の中を漂流した祖先だったかも知れません。わが祖先は、何を考え、どう生きて来たのでしょうか。必ず「いのち」を受け継がせてきた原点があるに違いありません。

私は、「類人猿」を父祖に持っているとは考えていません。同じ様に思い、同じ様に感情を表し、同じ様に願う「人間」こそが、私の「祖」であると信じているからです。東武伊勢崎線に動物園があるのですが、その折の中にいる動物たちとは、「種(しゅ)」が全く異なり、同系だと思ってはいません。コンピューターを作り出せたり、戦争を始めたり終結させたり、ガンの治療薬を研究開発するのは、「人間」だけであるからです。

「四天王寺」の本堂が燃えたり、崩壊を繰り返してきたのですが、それをずっと再建し続けてきたのが、「金剛組」でした。そんなことを調べていたら、日本で第三に古い企業が、山梨県の早川町にあることが分かりました。慶雲二年(705年)に端を発している「慶雲館」です。とてもゆっくりできる温泉を湧き出させている旅館なのです。私は、大きな手術をした後に、『ここの温泉が好いですよ!』と勧められて、この宿に泊まったことがあるのです。そんな経緯があることなどつゆ知らずにいて、そのことを最近知ったのです。

南アルプスの登山道の広河原にも繋がっていて、渓谷の道を、車で走ったこともありました。交通手段の全くない、徒歩だけの時代に、富士川の支流の上流の、あんな山奥に温泉宿ができて、武田武士などが合戦の後に、湯治をし続けてきたというのも、ビックリするほど浪漫に溢れているのを感じます。

帰化した金剛秀光の故郷、百済は、どの様な国だったのでしょうか。かつて、朝鮮半島には、高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、任那(みまな)、そして「百済」の国がありましたが、日本との国交が深かったのが百済でした。日本の政治組織や農法や工法などの伝達は、この百済との交流が起源となっているのです。

多くを、この朝鮮半島に学んだことを、私たちは忘れてはなりません。ソウルには何度も会議に出席などで、訪ねたことがありますが、いつか釜山(ぷさん)から、かつての百済の地を、「浪漫の旅」をしてみたいものです。何かを発見できるかも知れません。

(百済料理です)
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