たたら

 

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島根県奥出雲町は、古代製鉄が行われた町として有名です。その製鉄法を、「たたら」と言います。この「たたら」について、次の様な解説があります。

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『日本列島における人々と鉄との出会いは、縄文時代末から弥生時代のはじめころで、大陸からもたらされたものと考えられています。

しかし、日本列島内で鉄生産が開始される時期については、研究者の間で、弥生時代説と古墳時代中期説および後期説とにわかれています。いずれにせよ、縄文時代末には、鉄器が日本列島にもたらされ、弥生時代のはじめには、鉄素材を輸入に頼りながらも、国内で鉄器の加工生産が開始され、やがて弥生時代後期になると、小規模ながら製鉄が開始され大陸からの鉄素材に、列島内産の鉄も加えて鉄器の生産が行われるようになり、そして、古墳時代後期には列島内の鉄生産が本格的になったものと考えられます。

そんな理由で、日本列島内の古代製鉄史のなかで、大きな転換期が6世紀にあったことが知られます。また、初期のころの原料は、鉄鉱石の場合が多く、以後、砂鉄も加わり、やがて砂鉄が主流になっていきます。

このことから、土製の炉に木炭と砂鉄を装入して鉄を作り出す、後に中国山地で盛んになる「たたら製鉄」の技術もこのあたりから始まったと考えられます。』

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この「たたら製鉄」が盛んだったのが、奥出雲で、日中戦争や太平洋戦争のころまで続けられてきたそうです。ほぼ1300年以上の歴史があるのです。この伝統の「たたら製鉄」を、次時代を担う子どもたちに継承してもらおうと、町内小学校の6年生を中心に、11月から12月の間に、体験学習が行われてきています。

この様に製造された鉄から、包丁や農耕具が作られていきました。その鉄の中でも、特に優れた鋼(はがね)を、「玉鋼(たまはがね)」と言うそうです。これが、「日本刀」の原材料として、刀鍛冶によって火入れや冷やしを繰り返し、打たれ叩かれて、名刀が誕生しています。

父の家の床の間に、鹿の角で作られた「刀置き」がありました。私が大きくなった時には、刀がなかったのですが、きっと戦時中、武器を作るために、「供出(きょうしゅつ)」されてしまったのでしょう。また男の子4人が、真刀を振り回したら危険だから、父か母が処分したのかも知れません。

平和利用のため、また伝統製法の保存のために、方言や習慣を残そうとする動きを含めて、懐古主義だけではなく、歴史や伝統技術を学ぶ意味でも大切なことに違いありません。「古き良きもの」と、「新しいもの」が共存するのは、今の時代を生きる者として願うべきことの様です。

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