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子どもの頃に、「偉大な日本人」として、幻灯や紙芝居に描かれた人物がいました。小説家や映画俳優や野球選手ではなく、科学者でした。教育界では、『君たちは、こんな科学者になって欲しい!』と、《日本人の誇り》と謳われていたのが、「野口英世」でした。
福島県の猪苗代湖の貧しい農家で生まれ、1歳の時に、どこの農家にもあった〈囲炉裏(いろり)〉に落ちて、左手の指に、大きな火傷を負うのです。それで、「てんぼう」という渾名がつけられていじめられます。でも学校の成績は優秀で、高等小学校の時に、みんなに募金を働きかけて、会津若松の医師によって、整形手術が施されます。
その手術の成功で、清作(野口英世の幼名)は、将来医者になる思いを強くするのです。こう言った物語で始まる紙芝居を、感動しながら観たものです。後に、日本医科大学の前身の学校などで医学を学び、アメリカの大学や研究所に留学をして、ペンシルバニア大学の助手、ロックフェラー医学研究所の研究員などを歴任します。
そして、野口を有名にしたのは、細菌学者としての功績でした。アメリカで「梅毒の研究」、エクアドルで「黄熱病の研究」をして、ノーベル賞候補にもなりましたが、アフリカのガーナで、黄熱病に感染して、51歳で亡くなっています。国際社会で活躍した人で、「千円札」の肖像になっています。
しかし、この野口には「陰」の部分があることを、大人になってから、私は知ります。これは個人のことですが、若い頃は放蕩な生活を送ってるのです。子どもの私が知らなかった点です。また、研究の被験で、〈人体実験〉も行っていたのが判明しています。孤児らに、梅毒菌を接種していて、その野口の研究姿勢を社会は糾弾していました。
ある物質が、梅毒の血清に使えないか 、400人もの被験者に人体実験を行っています。しかも、その被験者の多くは、精神病院の入院患者、施設の孤児、公立病院の患者でした。実験について事前に説明したり承諾を取る様なことはしていなかったのです。パスツールが、自分の子どもに、種痘を植えて、実験としたことが有名ですが、野口の被験者の人選には、人権問題が潜んでいるのです。
何度もノーベル賞候補になりながらも、受賞にいたらなかった理由が、この辺のことにありそうです。〈科学優先〉で、人間の尊厳を無視したことは受け入れることはできません。『多くの人の益のために、少数者、しかも障碍や弱さを持つ人の犠牲はやむを得ない!』と言った論理がまかり通るとしたら、大問題です。
伝記を読んで、英雄視していた子どもの私には、人となりの全体像を見て評価することなどできませんでした。自然の猛威を鎮めるために、人身御供が行われていた時代や部落があった話も、子どもの頃に聞いた覚えがあります。『仕方がなかった!』と言う言い訳は通用しないのです。
(友人が四月に撮影した写真です)
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