美人薄命

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私が選択した第二外国語は、フランス語でした。“ bonjour(ボンジュール) "や“ mademoiselle (マドモアゼル)の響きがやさしくて、きれいだったのと、題名を忘れてしまったフランス映画を観たのが理由でした。叶えられませんでしたが、『いつかパリに行ってみよう!』と思っていました。

最近、フランス映画の女優の写真を観たのです。あんなに美しい女性だったのに、老いると「おばあちゃん」になると言う、人の世の現実に、ちょっと驚かされました。〈美人薄命〉は、「美貌」の意味も含んで、そう言われてきた言葉なのでしょうか。

すみません、男性も同じ様に、老いていますので。時間とは、残酷なのでしょうか、または正直なのでしょうか、〈人間とは何ぞや?〉、いつまでも美貌のままでは、これからの人に申し訳ないので、衰えたり、退くのは《公平》なのかも知れません。

華南の街のわが家に、時々、赤ちゃんを連れた来訪客がありました。その赤ちゃんたちは、透き通る様な、まるで真綿かマシュマロの様なホッペをしていて、人差し指で、ツンと軽く突いて触ると、指先が埋まれてしまいそうなのです。みんな、その時期には、そんな柔らかさをホッペも心も持っていたのに、人生の嵐に揉まれている間に、こんなに固くなって、シワもシミもできてしまうのです。

これって、私が思うには、次の段階に移っていくのだと言うことです。加齢し、老いていくなら、ありのままの自分を受け入れることなのでしょう。『準、髪にブラウンヘアーがあるね!』と、後頭部を見られない私に、二十歳違いで、同じ月の同じ日の誕生日の恩師が、四十代中頃の私に言ったことがありました。ご自分が通ってきた所を、今まさに通っている私を見守ってくれていたのです。

この恩師は、十代の頃には、〈街一の悪〉だったそうです。それなりの立場にあったご両親を悩ませた過去があった人でした。対日戦争に征って、ガラリと変わって帰って来たのです。そして、お父さんと同じ道を選んで、その敵国日本にやって来たわけです。いくつかの倶楽部を建て上げ、御子息や日本人の青年に任せていきました。晩年、病を得て、召されたのですが、告別式に、彼の住んだ街の市長さんが、参列して、その人格の高さに賛辞を送ったそうです。

一緒にテニスを興じたこともあり、度々、私たち家族を招いてくださったりして、好い交わりが与えられていたのです。この方のお子さんたちと、私たちの子どもたちと《次世代交流》があり、感謝な時を持っている様です。

実は、教師が間違えて採点したのでしょうか《AAの優》、フランス語の私の成績でした。半世紀がたって、全く使えない第二外国語になってしまっています。青年期の私の憧れのフランシス・アルヌール、この方の写真でした。私の恩師は、北欧系のダンディーな映画俳優にしたいほどの素敵な男性でした。

(萩須高徳のパリの下町風景です)

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