旅人

 

 

今、寝心地の良いベッドを使っています。新品同様のものを、友人の息子さんが、用意してくれたのです。この方は、おばあさまのされていた事業を引き継がれて、堅牢な家具販売を、我が家の隣でされておいでなのです。大手の全国チェーン店や外国企業と伍して、励んでおられるのです。

先日、新規に注文が取れて、ベッドの配達に行かれ、引き上げて来たベッドが、まだ十二分に使えるとのことで、『いかがですか?』とのことで、頂戴したのです。これまで所帯をもった当初は、ソファー兼ベッドを使っていたのですが、その後は、畳の上に布団を敷き、畳むという生活パターンでした。

中国に参りましてからは、どこに住んでもベッドを使って来ました。『日本に帰ったら、また畳の上で!』と思っていた矢先のギフトだったのです。子どもの頃に、父は、4人の子の内、私にだけ「寝台」を用意してくれ、東京に越して来て、家の間取りが狭くなるまで、使っていたのです。それは大工さんに注文して作った特注品だったのです。

普通、長男か末っ子が父親の寵愛を受けるのに、三男の私が、その栄誉に浴したわけで、兄や弟には申し訳なかったかなと、今更に思うのです。甘やかされなかった兄たちや弟の方が、強めに育って、人生のバネも強固の様です。

先週も、キャスター付きの椅子を四脚頂いて、応接室に置くことができました。これで友人や兄や弟が座ることができそうです。スーツケース2個で帰国したのに、生活するための必要品が、与えられてほとんど不自由なしでいます。結局、人は〈寄留者〉で、〈旅人〉なのでしょう。

私たちの住む家は、友人の奥様のお母様が、ご主人を天に送ってから、お一人で生活されていた家ですから、その当時の手紙が、レターケースごと残っていたり、引き出しに裁縫道具などがあったりなのです。全てを残して、お母様も天に帰られたのです。

生きて行く上で必要な物って、結構わずかで好いのでしょう。およそ人は、余分な物を、持ち過ぎているに違いありません。ある方が、『貧乏な人ほど、多くの物を持つ!』と言っていました。合理主義の生き方は、わずかな物で生きることなのでしょう。所詮、持っていけない物ばかりなのですから。

(男体山です)

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