江戸や明治の風情を今に伝える、栃木は、「蔵の街」と呼ばれ、落ち着いた街で、一昨年の初訪問の折に、家内も私もいっぺんに気に入ってしまいました。埼玉県の川越にも行ったことがありますが、少々観光地化が強くて、気忙しく感じたのですが、ほどほどの環境客の訪問で、ゆったりとした感じがいたします。時々欧米人の来訪も見受けられます。
日本には、「小京都」とか「小江戸(こえど)」と呼ばれる街が多く残されているのは、それぞれの街の努力と、戦災に遇わなかったため、焼失を免れたからでもあります。市民になった今は、ことさらに住みやすいのです。今日も、家内と一緒に、巴波川を渡って、旧市街の住宅街を歩いたのですが、つつましやかに住む人たちの姿を垣間見ることができました。
「倭町」、「城内町」、「惣社町」、「嘉右衛門町(かえもんちょう )」という町名も残っています。街中には、京の朝廷から遣わされた、東照宮参詣の使いが通った「例幣使街道(れいへいしかいどう)」が残されてあり、人や荷車が往来したのでしょうか、車社会以前の佇まいが残されていて、道沿いには、「銭湯」もあります。
旅人が休んだ茶店などもあったのでしょうか、そこで出された団子を思い出させるかの様に、和菓子屋さんが、何軒も残されていて、「嘉永」に創業したと看板が下げられた店も見受けられます。
昨日は、「草餅(よもぎの葉を練りこんだもの)」を、『お母さんの体に好いから!』と言っては、わざわざ新宿で買ってきてくれる下の息子に倣って、買ってみました。甘過ぎずに美味しかったのです。
まだ訪ねたことがないのですが、「佐原(千葉県香取市)」も、「小江戸」と呼ばれて、この佐原、川越、栃木の街では、〈小江戸サミット〉が行われているそうです。「江戸」の文化や趣味や遊びや粋(いき)なども、舟運でつないだ物や人の行き来で流入していたのでしょうか。〈小江戸・栃木〉には、喜多川歌麿の記念館があり、江戸に行っては、贅を尽くした船主や蔵主が、江戸で遊んだ名残なのでしょうか。
規模こそ違え、江戸の町並みを彷彿とさせた、川越や佐原や、ここ栃木は、かつては栄えた街だったのでしょう。文化の交流があったのに、〈江戸弁(言葉)〉の影響が少なく、江戸や東京に近かった割りに、福島弁に似た語尾が聞こえてきて、微笑ましいのです。
(友人が撮影して観る様にしてくださった写真です)
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