けじめ

 

 

長男家族と、次男夫婦は、ほぼ毎週末、家内の見舞いにやって来ています。先週、私たちの孫が小学校を卒業しました。その前日にも来ていくれたのです。その孫に、『卒業式に何を歌うの?、〈国歌〉や「仰げば尊し〉って歌う?』と聞くと、『仰げば尊しは歌わない!』というのです。

それで、『何を歌うの?』と聞くと、合唱曲「旅立ちの日に」や「大地讃頌(さんしょう)」や「さくら(独唱)」(森山直太朗)などを歌うのだそうです。在校生の代表で、五年生が歌う歌も決まってうるそうです。60年以上も前に、小学校を卒業した世代の私にとって、〈仰げば尊し〉への思い入れは大きいのです。

あおげば 尊し わが師の恩
教えの庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば互いにむつみし 日頃の恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て 名をあげ やよ励めよ
今こそ 別れめ いざさらば

朝夕 馴にし まなびの窓
螢のともし火 積む白雪
忘るる 間ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば

もう先生を「わが師」なんて呼ばないのでしょう。「わかれめ」が「お別れ/離別」という意味なのも分からないかも知れません。「さらば」については、「別れ」の挨拶語に、もう誰も使わないのです。「蛍雪の功」と言った勉学の努力も言わないようです。

この「さらば」ですが、こんな時、中国人は、『再見』と言い、アメリカ人は、“see you again ”と言って、別れの挨拶をします。ところが私たち日本人は、『さようなら!』と言います。この「さようなら」ですが、漢字で書きますと、「左様なら(然様なら)」になります。

古い言い方の、「さらば(然あらば)」も、意味としては同じです。また若い人たちは、『じゃあ!』と言うようですし、私も、学生のみなさんに、そう言ったりします。私の甥の6歳になる男の子が、いつでしたか、『あばよ!』と言ったのには驚かされました。しばらく聞かなかったし、自分でも言わなくなっていた、別れのことばだったからです。

こういった別れのことばは、日本独特な表現だと言われています。こちらの学校で教え始めて、気になったことがありました。学生のみなさんが、ほとんど例外なく、ズルズルと教室に入ってきて、ズルズルと授業を終えて帰っていくのです。それで気になった私は、彼らよりも早く教室に入って、彼らの来るのを待って、一人一人と目があうと、『おはようございます!』と挨拶をし、授業が終わると、ドアーの横に立って、『さようなら!』とか『じゃあね!』と声をかけるようにしたのです。

ですから、私の教室に出入りするみなさんは、代々、どの年度の学生も、挨拶をするようになったのです。しっかりした挨拶用語のある言語なのに、日本人のように律儀にしないのは、それは文化であり習慣であるので、好い悪いの問題にはなりません。

このことを、『どうしてだろう?』と考えてみましたら、私たち日本人は、どうも《けじめ》を付けないと、始まらないし、終わらない、そういった文化、社会なのではないかと思わされたのです。人に会いますと挨拶をし、人と別けれると、『さようならば行きます!』と言いたいわけです。つまり、会ってしばらく一緒にいて、時間が来て、ことが終わったので、帰ろうとしたり、行こうとするときに、『左様でありますから、帰ります!』が、『さようなら!』に省略されて表現されるようになったのです。

「別れ」があって、「出会い」があるこの季節を、懐かしく思い出すのは、私だけではなさそうです。『はじめまして』と言った出会いが、この「別れ」の後にあり、一生別れたくない人が、私にもいます。

 

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