ときめき

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大分県に、「日田(ひた)」と呼ばれる街があります。江戸幕府の直轄領で、明治の初期には、皇室に属する「天領」でした。そこは盆地で、巡りが山で、長く盆地で生活した私には、少し地形的な想像がつきます。と言うのは、街の情報を聞いただけで、一度も訪ねたことがないのです。久留米と大分を結ぶ、〈JR久大線〉の沿線にある街です。

14年ほど前に、熊本で会議があって、出かけた帰りに、この久大線に乗って、由布院温泉に行ったことがありました。実は、その年の春に右腕の腱板断裂の縫合手術をして、リハビリが必要だったからです。それで、その湯布院に、久留米在住の友人のお父様の別荘があって、使わせてくださるとのことで、鞄を家内に持ってもらって、1週間、湯治をしながら過ごしたのです。

Vその別荘は、温泉が引かれていて、温泉三昧の時でした。その時に通過したのが、「日田」でした。美しい街だったのです。そこは、私には思い入れのある街だったのです。当時、母校の恩師の推薦で、ある研究所に勤めていました。柳川の高校で研修会があって、それに出席したのです。その時、私をときめかせた女性が、そこにいました。

念のため、家内と出会う前の話です。背がすらりとして、いわゆる「日田美人」でした。東京弁の旅の人に、この女性が恋をしたのです。いえ御免なさい、こちらがでした。ある時、休暇をとって、東京に出て来てくれたのですが、女性の気持ちを分からない自分は、結婚を迫られそうで、それ以上の付き合いを避けたのです。

『ずるい、卑怯者!』と女性に言われてしまうのを覚悟で書いています。でも、その頃、まだ24歳でした。70パーセントはまだ〈子ども〉で、30パーセントは〈ませた青二才〉でした。そんなこんなで、今、二度目にときめいて、48年も結婚生活を共にして来た家内、《糟糠之妻》がいるのです。苦労をさせ続けた彼女の前では、頭の上がらない男です。

今日も病院に、入院中の家内の着替えを持って、一人で出かけて来ました。何度も、何日も怪我で入院した私に、着替えを運んでくれた家内へのお返しの日々なのです。20℃もある日の午後でした。昨日は、大人数で、入院先に出かけた私たちを、満面の笑みを浮かべて迎えてくれました。帰りしな孫たちとは握手とハグをしたりしていました。ところが今日の午後は、気分が優れず、会うことが叶いませんでした。ただ快復を願う、春を感じさせた日の夕べです。

(日田名物の「日田羊羹」です)

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