別れ

 

 

12年前、こちらに参ります時に、どうしても置いてこなければならないものがありました。それは、連れて来られなかった<猫たち>でした。猫の嫌いな私が、飼うことになったのは、しかも二匹もですが、事情がありました。

この猫たちは、娘婿が、南信(長野県に南部)にある高校で、“JET “と言う働きで、英語教師をしていました時、通勤途中に捨てられているのを、2度も拾って来て飼っていたのです。見捨てておけなかったほどに、娘婿の優しい性格によってです。その彼らが、生まれたばかりの息子を連れて、3年の任期を終えて帰国することになり、その猫を飼って欲しいと、私に言ってきたのです。

事情が事情でしたので、思い切って飼うことにしたわけです。ところが、飼っているうちに、情が移るというのでしょうか、可愛くなって仕舞ったのです。猫はあんまり懐かないと言われていましたが、人懐っこくて、可愛くなってしまったのです。オスの黒猫の“タッカー”、斑ら毛の三毛猫の”スティービー“でした。娘婿は、この猫に避妊手術を施していたのです。

外に出て行くと、一人前ではないことが分かる野良猫どもに、追いかけ回されて、いじめられるのです。それで、ひっそりと隠れているタッカーを見つけては、抱いて家に帰ることがしばしばでした。今度は可哀想になって来たわけです。ちょうどその頃、右手の肩の鍵盤を断裂して、縫合手術を市立病院でしてもらい、リハビリ中でした。家で寝ていると、二匹で走り回っては、寝ている私の体の上を走り抜けて行くのです。どうもわざとです。

私が部屋にいると、閉めてある襖戸を、タッカーが体を横にして寝転がって、前足2本で開けてしまい、入り込んで来るです。その仕草が面白く、笑っていました。<猫じゃらし>でからかうと、これも本気で飛びついて来るのです。猫の習性が少し分りかけている頃に、こちらに来る決断をしたのです。物は捨てたのですが、生き物を、どうしたらいいか考えましたが、術がありませんでした。

結局、家内が留守の間に、市の環境センターに連れて行ったのです。あんなに辛い気持ちはしたことはありませんでした。あの時、タッカーは、どこに行くか気付いていて、不安な呻き声を上げていました。それは聞くに忍びなかったのですが、後戻りできません。その辛い決断と、その断行は、今になっても忘れられません。

今朝、タッカーとスティービーの話が、家内と話題になりました。何十年と、して来た仕事を辞めることも、仲良くなった人たちとの別れも、家族から離れることも、みんな辛かったのですが、この<猫たち>との別れは、胸を締め付けられるほど悲しかったのです。それだけの犠牲があって、こちらで新生活が始まったわけです。多くの人と出会い、戦争責任の赦しを請い、学校で教え、近所の人たちと、倶楽部のみなさんと交流して今日を迎えています。

そんな12年前の決断を思い出して、秋空を見上げています。今朝は、24℃を、ベランダの寒暖計が指し示しています。今夕は、3人の方がやって来ます。家内と食事を作って待つつもりです。(9/10記)

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