友を得よ!


長女が、『高校受験でテレビ講座があるから買って!』と言われて買ってしまうまで、我が家にはテレビがありませんでした。とうとう節を曲げて買ってしまってから、『時間泥棒!』だと悪口を言っては、なるべく観ないようにしていたのですが、時間のあるときは、どうしても誘惑に負けてしまう私でした。ある時、テレビを観ていて、『こういった世界で名を売るのは大変なんだ!』と思わされたことがありました。骨格も背丈も日本人であるのに、顔を真っ黒に塗って、手と目と歯だけが異様に白く目立って、ダンスして歌っている似非(えせ)アフリカ人のグループがいました。名前を見ましたら、「シャネルズ」でした。声や顔やダンスだけではなく、こんな努力をして売り込まないと、ステージに立つことができず、人気を保つこともできない世界に、『大変だ!』と思うことしきりでした。案の定、いつの間にかテレビでは観られなくなりましたから、人気が落ちてしまったわけです。今回の帰国時にも、食事の時にテレビを観ていて、『前に、親指を立てていた芸人がいたけど、今はどう?』と聞いたら、『もういないわよ!』と義姉が話していました。

その「シャネルズ」のメンバーの一人が、田代まさしさんでした。ちょっと喋り方が気になる人でしたが、結構人気があった芸能人だったようです。その彼が度々手を染めていたのが薬物でした。私は子どもの頃、父から麻薬の怖さを教えらたことがあります。『JAZZなどの演奏者たちの中に、麻薬中毒患者が多いんだ。一度始めたらやめるのは至難の業だそうだ!』と父が話したときに、私は子どもながらに決心をしたのです。父の話し方で、怖さが分かったからなのでしょうか、『絶対にしないぞ!』と肝に命じたのです。その決心は、今にいたるまで守られてきているのですが、ただただ感謝なことであります。ただ、何度か麻酔手術をしてきましたから、血液の中に合法的に入れたり、歯科治療の時にも使ったことはあります。39歳の秋に、大きな手術をしたことがあります。11時間ほどかかったと言っていましたが。手術が終わって、ICUに運ばれた私は、激痛で目が醒めました。麻酔が切れたのです。あの痛さは、これまでに味わったものの中で、最高だったと思います。我慢しようと思ったのですができずに、看護師さんに痛さを訴えて、鎮痛剤を打ってもらったのです。ピタッと激痛が止んだのを感じて、薬物の効能の凄さに驚かされたのを今でも忘れません。退院して、母のそばで時を過ごしたのですが、2ヶ月たっても腰の周りの麻痺が取れませんでした。それは麻酔の後遺症だったようです。それから数年間、腰の周りの違和感は続きましたが、いつの間にか気にしなくなって、今では全く正常に戻っています。

その経験からだけしか、薬物の力の強さ、怖さは知りませんが、多くのプレッシャーの中で、特に浮沈の厳しい芸能界で生きる人たちが、そこからしばし逃れたいと思う誘惑は理解できます。と言っても、営業成績の数値に追われる営業マンだって、長距離ドライバーだって、いたずら小僧の子育てをしている母親だって、夜勤で働き続けなければならない看護師だって同じです。みなさんがプレッシャーに圧倒されながら生きているわけです。だからと言って、開放感、絶頂感、陶酔感を得るために、化学的な方法を用いることには、落とし穴があって、依存が付きものであるという常識論がありますから、禁忌です。ところが、田代さんの場合、これらのことは百も承知なのに、再犯してしまった《怖さ》があるのではないでしょうか。薬の怖さは自明ですが、問題は、それを求めなければならない、人の心の溝の深さだと思うのです。田代さんは、『自分の力で更生してみます!』と言ったそうですが、初めから無理でした。

私は若い頃、『あなたの人生を破壊するものがある。心して注意しなさい!』と、くどいほど教えられました。酒、金、賭け事、名誉、麻薬、女に気を付けることです。でも気を付けるだけでは足りません。その誘惑の恐ろしい程の力の強さで、力ある者たちがなぎ倒され続けてきていることを知らなければなりません。人間史はそれを立証しています。大成功をおさめましたが、人格上では敗北者だという、膨大な実例があります。私たちを教えてくれた師は、『友を得よ!』と言いました。同情し、共感し、共に泣き、失った機会や仕事を世話してくれる友のことではありません。《弱い自分の心の赤裸々な現実を、忌憚なく話せる友》のことです。心の戦場で戦っている戦いの現実、誘惑に晒されて怯えている自分、到底勝てない脆弱な自分、そんな自分を恥じずに話すことができる友のことです。みんなが同じ誘惑にさらされて、かろうじて守られて立っているだけの《人の限界》を熟知して、自分を甘えさせず、『仕方が無いんだ!』と言わないで、厳しく叱ってくれる友のことです。これこそが《親友》なのです。田代さんにも、そういった人がいたのかも知れません。しかし田代さんは、そんな恥ずかしい自分を語り晒せない自分、《高慢さ》が心の中に、まだ残っていたのかも知れません。だから、再び自らの《恥》を世間に晒さなければなりませんでした。さあ田代さん、己を知り、恥を知って、しっかりと再び立てる日が来るようにと、心から願っています。

それにしても、エジプトの巷間で、女性に誘惑された一人の青年が、服の袖を彼女の手に残して、その手を振り切って《逃げた》のは、一番優れた方法ではないでしょうか。誘惑の前で、グズグズしないで、《逃げること》なら、だれもができそうですね。そう促し、逃げる背中を、そっと押してくれる方だっていらっしゃるのですから。

警告してくれた父、教えてくださった師に感謝している、台風一過の華南の朝です。

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