心が痛むこと

 

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子どもの頃の遊びですが、ほとんどの時、<集団遊び>をしていたのです。就学前は、金魚の糞のように、兄たちの後を追いかけては、兄たちの邪魔をしていました。小学生の頃に過ごした街では、近所にいた、上の兄の同級生が番長で、この人の指示で、様々な遊びをしていたのです。鬼ごっこ、宝取り、隠れんぼ、馬跳び、馬乗りなどなどでした。夢中になって暗くなってまでやり続けていたのです。この番長が、後になって、私の通学で乗っていた電車の車掌をしていました。

ですから、宿題をやった記憶がありません。多分、宿題だってあったのでしょうけど、ほとんどやった記憶がないのです。やらないで学校に行って、立たされたりもしたのです。そんな遊びの他に、「チャンバラ」をしました。雑木林の中に入って木を切っては、自分好みの刀を、自分で作っていました。この「チャンバラ」の遊びには、時代的な背景がありました。当時の映画は、いわゆる「時代劇」が全盛期でした。悪人が刀を振り回すと<殺人>になり、正義の人が用いると<懲らしめ>になる、勧善懲悪の物語が流行っていたのです。切り役、斬られ役があって、みんな映画俳優気取りでした。

ところが、アメリカの社会では、刀の代わりに拳銃を使うのです。戦争が終わって、アメリカ映画が、日本で上映されるようになると、いわゆる「西部劇」が、日本で観られるようになり、とても人気がありました。アメリカ版の「時代劇/チャンバラ」でした。それで、私たちが刀を使うのとは違って、アメリカの子どもたちは、「おもちゃの拳銃」を持って遊ぶのです。アメリカは、「銃社会」だからです。

『自分と家族は自分で守る!』と言う自衛意識が強いために、子どもたちが、家の中で、簡単に本物の拳銃を手にする機会があり、それで今日日、無差別乱射のような事件が起こるのでしょう。今の子どもたちは、「戦争ごっこ」をしなくなっているようですね。一対一の喧嘩や集団での喧嘩などもしません。小競り合いや、小さな喧嘩をしていないので、いったん争いが起こると、喧嘩の力加減が分からないので、怒りの感情を制御できなくて、銃で問題解決をしてしまうのでしょうか。

最近、アメリカでの残念なニュースを、また聞きました。心が痛むのですが、日本でも「包丁」を振り回して、切りつける事件が、よく起きています。叩かれたり、切られたり、打たれたりする<痛さ>を知らないからでしょうか。心の感情の抑制が聞かない時代の只中で、如何したら好いのか考えてしまいます。

(写真は”スポーツチャンバラ公式HP”より「スポチャン」の演舞です)

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