古代の浪漫

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七才から二十歳まで住んでいた町に、「七つ塚」と呼ばれていた、不思議な地形の里山がありました。そこに、古代人の使った土器や石器があると言うことを聞いたのです。まだ、学術的な発掘が行われる前でしたが、小学校の五年の私は、そこに出かけて行き、土器の破片を拾って、家に持ち帰ったことがあります。長く保管していたのですが、引越しの時に、何処かに失ってしまいました。

その町で、はるか以前に、古代の人たちが、生活をしていたという場所と遺物に触れた、不思議な感覚を覚えたのです。この<古代の浪漫>を感じたくて、たった一人で、そこに出かけては、里山の雑木林の中を歩きまわって、土を掘り返したのです。小学校の文化祭だったでしょうか、生涯で初めての「研究発表」を、文書で提出した覚えがあります。少ない資料しかなかったのに、原稿用紙だったと思いますが、拙い文章で、その町の「歴史」を綴ったわけです。賞はもらえませんでしたが、古代史研究家になった様な、くすぐったい思い出があります。

市内の中学に上がらずに、電車通学で三つ先の駅で降りた町の中学校に進学しました。ここの高等部に、「歴史研究部」があって、担任で社会科教師の勧めで、夏休みや春休みに、調布市、府中市、私の母校の小学校の校庭で、「発掘調査」の手伝いをさせてもらったことがありました。スコップを片手に、表土に隠されている、生活の痕跡を探ることに、喜びを感じたのです。埋もれた土の中から、土器や石器を見つけた時は、何とも言えない興奮がありました。

高等部に進んでからは、運動部に夢中になって、あの興奮を忘れてしまいました。あのまま持ち続けていたら、きっと、大学も「古代史研究」を専攻し、学者になっていたかも知れませんが、横道に逸れてしまったのです。それでも、高校の社会科の教師もさせてもらったのですから、まんざら的外れになったわけでもなさそうです。

先日、ネットで検索しましたら、あの「七つ塚」が、「古墳群」だったことを、初めて知りました。 その後、何処かの大学や学者が発掘したのでしょうか。現代人の私たちは、 はるか昔の人たちの生活基盤の上で、そんなことを全く意識しないで生活をしているのでしょう。あの時代の人々と同じ様に、泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだりしているわけです。台風も、大雨もあったことでしょう。彼らと同じ様に、私たちも生きているに違いありません。私は、その町への流入者ですが、土地の人たちは、古代人の末裔なのでしょうか。わあー、彼らは、<古代の浪漫>の中に生き続けているのでしょうね。実に羨ましい限りです!

(”帯広百年記念館”による、縄文時代の土器です)

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