石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
志貴皇子(しきのみこと)の詠んだ歌です。「石」と書いて、「いわ」と読むのだそうです。飛鳥時代の若者の瑞々しい感性が躍動している和歌です。春を迎えた喜びが溢れていている和歌を詠んだ、この皇子は、天智天皇の第七皇子で、母親は采女で、本妻の子ではなかったのです。でも、この皇子の子が、天皇に就いています。
皇位継承は、いつの世も同じなのでしょう、さまざまな思惑や駆け引きがあって、一筋縄には行かなかったようです。会社でも団体でも同じなのでしょう。そういった争いがあるのが、この社会に現実なのでしょうか。
産みの母を奪われて、継母に育てられたり、他所にやられたり、とかくこの世は住みにくいようです。人生にも春の訪れがあるのでしょう。病んだり、怪我を開いたり、失敗したり、転んだりする人の世ですが、慰めや励ましだってあります。やがて永遠の御国がやって来て、栄光の只中で生きられるのです。
春は、やはり春のなのです。孫息子はアルバイト中、孫娘が、今春短大に進学します。外孫の二人は、カンボジアに2週間ほどの予定で、家族で出掛けて、“ clean water project ” という名で奉仕を展開中だと知らせてくれました。そのブノンペン郊外の街には、どんな花が咲いていることでしょうか。
人生の春を、そんな風に過ごしている孫たちですが、人生の秋を迎えている私たちは、ただ目を細めて、遠く近くに、それを眺めて、応援の無言の声を、心の中で上げています。隣家のご婦人が、庭に咲いた春花を手折ってくださり、テーブルの上に置いています。
広い庭をお持ちのご婦人から頂いた、六瓣(べん)の「ダビデの星」が開いたのです。「六芒星(ヘキサグラム)」のダビデ王の紋章に似ているので、そう命名されたようです。なんだかパレスチナの地に咲いていそうな、そんな雰囲気がして参ります。春はいいな、の三月末の朝です。
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