壁に掲げられた一編の詩

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 ニューヨークに、「物理療法リハビリテーション研究所」があるそうです。その受付の壁に掲げられている詩が、注目されていると聞いたのです。それは「病者の祈り」という題で、よく知られています。南北戦争に従軍して、負傷した兵士が書き残したものだと言われています。

    ーーーA CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED

I asked God for strength, that I might achieve

I was made weak, that I might learn humbly to obey…

I asked for health, that I might do greater things

I was given infirmity, that I might do better things…

I asked for riches, that I might be happy

I was given poverty, that I might be wise…

I asked for power, that I might have the praise of men

I was given weakness, that I might feel the need of God…

I asked for all things, that I might enjoy life

I was given life, that I might enjoy all things…

I got nothing that I asked for — but everything I had hoped for

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.

I am among all men, most richly blessed!w 

 

 ニューヨークに、「物理療法リハビリテーション研究所」があるそうです。その受付の壁に掲げられている詩が、注目されていると聞いたのです。それは「病者の祈り」という題で、よく知られています。南北戦争に従軍して、負傷した兵士が書き残したものだと言われています。

大きなことを成し遂げるために
力をあたえてほしいと求めたのに
謙虚さを学ぶようにと弱さを授かった

偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
思いやりを持てるようにと病弱さを与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった

称賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

人生を楽しもうと
たくさんのものを求めたのに
人生をよく味わうようにと
平凡な人生を与えられた

求めたものはひとつとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されていたの

 

 私の入院した札幌の整形外科の病院に、この詩を日本語訳したものが、額入りで掲出されていたのです。人が病んだり、怪我をしたりで、弱くなった時に、初めて気づく事があるからです。これまで何度も入院生活をして来た私は、ほとんどが外科関係の手術をするためでした。体にたくさんのメスの跡が残ってしまいましたが、「男の紋章」と言いたいのですが、「人間の限界」を教えられる傷痕なのでしょう。

 腎臓を壊して、透析治療(腹膜環流透析)を受けていた次兄に、左の腎臓を提供した時に受けた切り傷が残っています。また、自転車で転倒したのと、階段から転落して、両腕の方にある左右両方の腱板を断裂し、その縫合手術を受け他時の傷も残っています。子どもの頃からの喧嘩傷も、手傷脛傷は数え切れないほどにあります。

 玉の肌で生まれて、この体を親を通して、創造主の神さまに頂いたのに、肌を傷つけてしまったのは、申し訳ない思いがいたします。二親は、怪我をさせまいと細心の注意を払って育ててくれたのに、勝手に生きて怪我を負い、病を得て今があります。戦前は、軍隊の兵舎だった、木造の建物を、戦後に病舎として使われていた、国立病院に入院したのです。

 就学前に入院した、その病室は、8人部屋だったでしょうか。若い青年たちが周りにいて、小児は自分だけでした。母が付き添って身の周りの世話をしてくれました。兄たち二人は、週末には来てくれました。我儘な弟が病んで、可哀想に思ってくれた兄たちでした。上の兄がベッドから落ちて、手を便器に入れてしまうハプニングがありました。

 そんな家族に支えられて、死にそうな重篤さから回復できたのです。父が、輸入薬を手に入れて、医師に渡したからだった様です。きっとペニシリンかなんかだったのでしょう。『肺炎が再発したら死んでしまうので注意を!』よ言われて、すでに入学式も済んでしまい、学期も進んでいたのに、一日学校に行けば、何日も休むを繰り返し、登校できないで、家に籠っていた私の世話をし続けてくれたのです。

 九死に一生を得た私は、小4になって元気になっていったのです。小学校の初期の学びがなかったので、漢字の書き順が手前勝手で、教師になって、『先生書き順が違ってる!』と生徒に注意されたほどでした。

 この詩を書き残した方は、重要な仕事ができるための力、健康、富、権力、喜びなどを、神さまに祈り求めた様です。でも、神が与えられたのは、病弱と貧困だった様です。病むことと、願いが叶えられないという重なる経験の失敗者の様な人生を生きたのでしょう。しかし、この方にできることがありました。「祈り」でした。『わたしの心の中の言い表せない祈りは、すべてかなえられた。私は、あらゆる人々の中で、最も豊かに祝福された!』と、神に感謝する心が与えられたのです。

 神さまに祈れるということほど、人生の資源は他にありません。どんな境遇の中でも生きていける力は、置かれた環境や境遇の中で、祈ったり、賛美したりして、神に思いを向け、委ねることで、それを実行できるのです。

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。(新改訳聖書 1テサロニケ5章15~17節)』

そう聖書は約束していてくださるのです。

(ウイキペディアの「ニューヨーク・セントラルパーク」です)

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