友好大使の役を

旧暦(陰暦、農暦とも言います)の8月15日(新暦ですと、昨日の9月22日です)を、「中秋」と呼び、さしもの暑い夏が終わって、『秋がきましたよ!』と、満月で知らせてくれた日です。中国や日本の人々は、満月に思いを馳せ、様々に想像力を働かせながら、何百年も何千年もの間、眺めて楽しみ、詩に詠んでは歌ってきたのです。

中国では、「中秋節」の祝祭日で、学校は三連休の休みです。日本では、月見団子に薄(すすき)の穂を飾って、中秋の名月を眺める《月見》の行事、「観月会」がもたれるますが、休日にはなりません。ところで、まだ猛暑日が続いているとニュースが伝えていますので、昨晩は、額の汗をぬぐいながら、この満月を仰ぎ見たのではないでしょうか。日本では、天気もあまりすぐれなかったと聞きましたから、もしかしたら「無月」や「雨月」の中秋だったのかも知れません。私たちは「月」と書いて読みますが、中国では二文字表記をいたしますので、「月亮(yueliang)」と書いて読みます。太陽の光を受けて反射している月の光は幽玄で、とても浪漫的ではないでしょうか。

名月をとつてくれろと泣く子かな   一茶

同じ月を見て、中国の子どもたちも、『あの月をとって!』と言ってきたのでしょうけども、この1~2週の中日境界線上での漁船と監視船の衝突事件が尾を引いて、忌憚なく心ゆくまで観月を楽しめなかったのは、少々気残りがしてなりません。地球から遥かに離れた遠いところに光る《創造の美》を、もっと感動しながら眺めたかったのですが。『観ながら食べてください!』と言って、働いている学校や数人の学生、また友人たちから、「月餅」をたくさんいただきました。断った方もいました。二人で毎日いただいても、どうもひと月はかかるほどです。愛や感謝を表してくださった気持ちを口にほうばりながら、甘さが口に広がるのですが、今月今夜のこの月は、曇って見えた「悲月」、「惜月」でしたし、美味しい月餅も心なしか甘酸っぱかったのです。

私は月に向かって願ったりしませんが、事件の事実を科学的に調べ検討して、感情的ないきさつ抜きで、十二分に話しあって、結論を導いていただけるよう、心から願い祈るものであります。中国と日本は、命の危険を侵しながらも、この付近の海上を、数限りなく行き来した歴史があるのですから。それほどの交流の緊密さを、ここで再評価して、親と子、兄と弟のような関係にあり続けた両国ですから、歩み寄って平和裏に解決してもらいたいものです。

『そうだ(中国語では「对了/duile」と言います)!』、よく煉った餡で作られた「月餅」をテーブルの上に置いて、中国の「鉄観音茶」と、日本の「渋茶」を飲みながら、温家宝首相と菅直人首相とで話し合っていただいたらいかがでしょうか。よろしかったら、我が家の、中日友好の証である「月餅」を提供させていただいても結構です。きっと中秋に月を愛でて食べる月餅が友好の大使の役を果たしてくれることでしょう。