ターキー

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11月23日は「勤労感謝の日」、アメリカでは"サンクス・ギビング・ディ"でした。この日は、私に様々なことを教えてくださったアメリカ人起業家で恩師の誕生日でした。お元気だったら、今年、82歳になっておられたのですが、お病気で召されました。この方が、"ターキー(七面鳥)"をグリルにしたのが好物でした。きっと、お母さまが、息子に誕生と祝日の祝いにために、毎年、手料理をして、この"ターキー"を食卓に載せた味だったのでしょう。

この祝日に、長女が"ターキー"をグリルして、婿殿と、招いた友人のために料理をし、食事会を持ったそうで、その時の写真を送ってくれました。立派な食卓ですね。私も、恩師から分けていただいたりして、好きなのです。いつでしたか冷凍の"ターキー"の肉を買ったのはよかったのですが、グリルがなくて、結局、どなたかに上げてしまったことがありました。

いつか、お腹いっぱいに食べて見たいものです。垂涎(すいえん)したままで、その時を待とうと思っています。晩秋の味覚の一つなのでしょう。働いておいでのみなさん、そして働き終えたみなさん、ご苦労様でした。
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婚礼

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次女が、栗を蒸したそうで、その皮をむいた写真を送ってくれました。孫たちが、日本の様に、蒸したり、茹でたりしたものを食べたことがなかったので、初めて秋の味覚を、その様にして孫たちが食べ、とても美味しかったと言っていました。

私たちの町では、ドングリと同じ様な形状の栗があって、胴のところにナイフで傷をつけて茹でるのです。皮をむきやすくするためです。よくお邪魔する家で、秋になると、奥さんが、この栗を出してくれます。この栗が、ほんとうに美味しいのです。また日本の栗と同じ形状のものもあって、先日、家内が茹でてくれました。ホクホクして、子どもの頃を思い出してしまいました。それが秋の運動会の定番だったでしょうか。

『秋はいいな!』ですね。涼しいし、空気は澄んでいるし、食べ物は美味しいしからです。この週末に、車で2時間ほどの街で、婚礼があって、若いお二人を祝福するために出掛けてきました。私たちに結婚生活を聞きたいと、二度ほど、やって来られたお二人でした。ご主人のお仕事をされる街に嫁入りをしたのです。

大勢の若いみなさんに祝福されておいででした。中国語では「先輩」を「長輩」と言うのですが、"46年"も結婚生活をしてきた家内と私にも、一言すすめの言葉を話して欲しいとのことでした。花嫁の友人で、大学で日本語を専攻された方に通訳していただいて、お話をさせていただきました。『多くの人が訪ねてくる素敵な家庭を作ってください!』とすすめたのです。

雨降りの寒い週末でしたが、溢れる喜びが、ホテルの式場に溢満ちていました。帰りに、車に乗り込もうとした私たちにのために、花嫁がドアーを開けてくれたのです。気配りや優しさに溢れたお二人です。幸せを願いつつ、暖かな思いやりを感じながら帰路につきました。
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過ぎたるは

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ネットで、ニュースを読んでいますと、どうも世相が、「殺伐(”goo辞書”[形動][文][ナリ]殺気が感じられるさま。また、潤いや温かみの感じられないさま。「見えない手の揮 (ふる) う剣の光が、もう一度彼を―な争闘の心につれて行った」〈芥川・老いたる素戔嗚尊〉」としてきているのではないでしょうか。ちょっとしたことだと思えることに、不愉快を覚えるのでしょうか、言葉荒く非難し、要求する人が増えています。

帰国時に、市役所で、留守の間にしなかった市民としての義務の届け出や支払いで、市庁舎の中を行ったり来たりしていた時、「納税課」の前の椅子に座っていた、40才ほどの男性が、大声で自己主張を繰り返していました。担当課長もいたでしょうか、係が3人で対応していて、この人が『金を返せ!』と横柄に言いながら、喚き散らしていました。手のつけられない状況に見えたのです。

ピリピリした空気が、二階の他の部署まで張り詰めていました。どなたかが警察に通報して、制服の警察官が四人やって来て、この人の背後で、彼の主張を聞いていました。警官の前では、流石のこの人も声を落として、ボソボソと言っているのが聞こえてきたのです。こう言った「迷惑行為」に、店などで、時々出くわすことがあります。

流通業などが加盟する産別労組「UAゼンセン」が5万人を対象に行った調査の報告があります。従業員の約7割が、迷惑行為を受けた経験があるのだそうです。その迷惑行為の内容は、「暴言」27・5%、「同じ内容を繰り返すクレーム」16・3%。「土下座の強要」も1・8%でした(複数回答)。随分、大きな数字になっているようです。

いわゆる"サーヴィス"の仕事をしている人たちは、その対象者に、<サーヴィス優先>が過ぎているのも気になるのです。飛行機のアテンダントの仕事ぶりを見ていて、こちらの航空会社と日系の航空会社のサーヴィスは、歴然として違います。今回の帰国で、日系の便に搭乗したのですが、ひっきりなしに乗客の必要に届こうと目配り、気配りをしていました。『こう言ったサーヴィスをする様に、マニアルにあるんだろうけど、疲れないかな?ストレスは大きいのでは?』と思ったのです。<程々>で好いのです。

余りにも《お客様》扱いをし過ぎているのではないかと思います。こちらの様に、あまりにも素っ気ないのも、『どうかな?』ですが、《おもてなし》も行き過ぎてはいけないのです。私の兄は、<名物ホテルマン>でした。宿泊客に抜群の支持を得ていました。それは『ここに泊まって好かった!』というサーヴィスに腐心していたからです。海外からの宿泊客とは、こちらからx手を延べて握手を常にし、対等な立場も示していたほどでした。《へつらいし過ぎないサーヴィス》に徹していたのでしょう。

ですから休日にはゴルフに誘われる様なこともあり、次回の利用時には、お土産までもらうことが多かったそうです。アルゼンチンのブエノスアイレスに行った時に、入ったレストランで、ウエーターが、『これこそがプロフェッショナル!』と言えるほど、誇りと自信で、毅然と給仕しているのを見て、流石だと思ったことがありました。客は<求め過ぎ>で、サーヴィス業のみなさんは<し過ぎ>です。"過ぎたるは及ばざるが如し"、ですね。
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家事分担

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朝食の用意、毎食後の皿や茶碗や鍋やフライパンの洗いは、私の当番で、ずっとしてきています。時々嫌になる時もありますが、結構忠実にしています。母親が、二度長期入院をしたので、兄たちは父の家を出て、働いたり、学校に行っていましたので、父一人に家事をさせるわけにはいかず、よく手伝いました。

その所為もあって、家事が苦にならないのです。ハンバーグやオムライスやカレーライスや酢豚やサンドイッチやフレンチトーストなどを、時々作ってきました。それは、アメリカ人起業家と、長く、そして近くで過ごしたので、彼らが家事をしている姿を見てきたからだと思うのです。家事の分担は、男もすべきでしょう。掃除機をかけたり、床を乾燥モップで拭いたり、水モップで拭いたりもします。

総務省の「2016年社会生活基本調査」で、次のように報告されています。『家事関連時間は女性が1日3時間28分に対し男性は44分。女性は男性の4・6倍である。』そうです。夫婦双方が、外で働くことが多くなっていても、やはり、家事の負担は女性の方がはるかに重く多いのです。

今住んでいます家は、若い友人の留守をしているので、きれいに保つ責任があるので、注意しています。前の家より、広くなっていますから、すべきことが増えているのです。今朝も、洗濯機を回しました。私は早寝早起きですので、そうなってしまいます。

この住んでいます街の男性は、「亭主関白」の反対で、よく家事をこなすのだそうです。食事に招かれると、奥さんは話に夢中で、ご主人が台所で、料理に腕をふるって、もてなしてくれる家庭がほとんどです。テーブルを拭くのも、後片付けも彼がしています。それで、じょせいは、この街の男性と結婚するのが好いとされてるとか。

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十二月になると、母が忙しくしていました。障子の張替えやら、大掃除をするのです。それを見ながら手伝ったので、いつか「障子の張り替え」は、私の当番になっていました。襖(ふすま)も張り替えたこともありました。掃除機も、文化モップも、洗濯機もない時代、脇目も振らずに働いていた母を思い出します。"四人+一人"、五人の男の子の世話をしていたからです。

(茶碗と障子です)
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あさがおの葉っぱ

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ずっと雨続きの日でしたが、今日は、久し振りに太陽が出て、眩しいほどで、好い天気になりました。それでも、外出時には、冷たい風が吹いて、上着の前のチャックを閉めるほどでした。ベランダの朝顔の葉っぱが陽を受けて輝いているところを撮ってみました(上は午前9時過ぎ、下は午後4時過ぎ)。

数年前に、こちらを訪ねてくれた娘が買ってくれた、テフロン加工のフライパンが卵焼きなどをすると、焦げるようになってしまい、もう買い替えの時期かと、アメリカ系のスーパーに行ってみたのです。以前よりも、物の量が溢れるように積み上げられ、種類も多くなっていて、<3個で◯◯元>の商品の種類が多くなってきています。

商品棚を眺めていたら、店員(服务员fuwuyuan)が、『これが好いですよ!』と進めてくれたので、それを買って帰ってきました。これで美味しく調理ができることでしょう。これから夕飯後、知人宅にお茶会に行くことにします。
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アサガオ

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急激に寒くなってきました。午後2時の気温が15℃ですが、「炬燵(こたつ)」に入りたいほど、寒さがこたえます。ちょっと形が整わないのですが、朝顔が開いてくれました。葉が枯れ始めてきています。寂しそうに咲いていても、朝顔は朝顔です。小声で、『ありがとう!』と言ったところです。
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好きだから

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「好きこそものの上手なれ。」とは、"大辞林"によると、『何事によらず、好きであれば自然それに熱中するので、上達する。』と解説されています。世の中って、嫌々、渋々、仕方なく生きている人が多いかも知れません。時々、買い物に行く雑貨店があるのですが、店の中に入ると、先ず、"ジロリ"と見られ、『要什么yaishenme何が欲しいんだいw?』と言われるのです。『いらっしゃいませ!』と言って迎えて欲しいのに、そう言われると、もう購買意欲がなくなってしまって、帰りたくなるのです。

思うに、この店は、窃盗されることが多くて、その対策上、来店してくれた時に、喜び迎えたいのに、『もしかしたら?」と思うからでしょうか、買い物をする私に付いて回ることもあります。もしかしたら、つまらない仕事をしていて、つい無愛想になってしまうのかも知れません。何を買っても、『ありがとう!』と言われて見たいなと思って、店を出るのですが。それでも物揃いが半端なく、多種多様なのが、この店なのです。

「カズ」と親しまれて呼ばれているサッカーの「三浦知良選手」は、50才になったのですが、来季も現役を続けていくのだそうです。十代で、ブラジルにサッカー留学をしてから、この一事に励み続けた名選手です。多くの人が、転職や退職を考え始める年齢になっても、続けていく理由を、カズは次の様に言っていました。『サッカーが好きだから!』だそうです。

私たちも、今していることを、『好きだから!』と言えるなら、80や90になっても、することができるに違いありません。23才になったプロ野球の大谷翔平選手は、小学生の低学年で野球を始めたそうです。そして、来季は、メジャーリーグですることに決めました。彼も、野球をし続けて行く理由を、『好きだからです!」と言っています。

<親子二世代>の年齢や経験の違いを超えても、この二人に共通していることが、能力があるから、不安が期待しているからだけではないのです。《夢》を実現させていくのは、その《夢》を増殖させる、『好き!』という思いなのです。幼い日の感情を持ち続けて、夢を追いかけて生きて行く姿は、素敵ですね。

そうですね、今していることを、改めて《好き》になろうと決心した次第です。
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今朝の朝顔

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ベランダの午前7時前の外気温は、11℃です。そんな中、二輪の朝顔が開きました。その内の一つです。小さな花ですが、精一杯、天に向かって咲いております。今日は日曜日、祝福の一日となります様に、心から願っています。
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どうしますか?

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我が儘、不従順、短気、無礼などについては、私が違反すると、こっぴどく父親に叱られたものです。何時も当を得た叱責でした。でも生活上の細かいことなどについては、見て見ぬ振りでしょうか、小言を言われる様なことはありませんでした。その代わり、周りのおじさんたちから、随分叱られたり、たしなめられたり、注意されたのを覚えています。

朝の通勤時間のバスの中でのことです。若い女性がスマホで話し始めたのです。結構長く話していました。乗客からは冷たい非難の視線が、彼女に向けられていました。こんな出来事に遭遇することが、時には私たちにもあります。多くの場合は、無視するか我慢してしまいます。ある人は、怒鳴ったりします。みなさんでしたら、どうされるでしょうか。公共の場での迷惑行為です。

以前、ある大学の先生たちが、こう言ったのをラジオで聞いたことがあります。だいたい次の様なことでした。

現代は、様々なことが多様化している。価値観も違う。他者に迷惑になる行動も、掛ける側も受ける側も、程度の差がある。ある人は寛容で、そのことを迷惑に感じない。でも、ちょっとしたことで、感情的になってしまう人もいる。注意されたことで不快感を感じると、自己保身で攻撃的になる。まさに動物レベルな反応である。現代は、幼児社会になっている様だ。

それで、大人として、どうしても注意しなければならないなら、次の様にすべきだと言っていました。
① 感情的に言ってはならない
② 敢えて注意しない
③ どうなっているかの事実だけを告げる

先ほどのバスの中での一件です。一人のおばあちゃんが、この女性の肩を、軽くトントンとしました。そして、小さく首を横に振って、『マナーよ。』と小声で言いました。《どうすべきか》を促したわけです。そうしたら、その若い女性は、素直に、『ごめんなさい。』と言って、スマホを切ったのです。

今は、上手に叱れない時代です。また叱られ下手です。つまり、現代人は上手に生きていけないのです。人間関係を上手にできないのは、誰にも教えられていないからです。教育が知的に偏向して、『周りと和してどう生きるか?』を学ぶことを忘れているからに違いありません。昔のおじさん、おばさんは、小うるさかったのですが、的を射て叱ってくれたのです。

《ビンタ》でも《ゲンコツ》でも《叱声》でも、昔のおじさんも教師も先輩も、自分の子の様に、弟子だから、後輩だから、本気で関心を向けてくれたのです。人としてあるべきことから外れていたら、正してくれたわけです。人の子だからと無関心にならないで、命の重さ、人の持ち物の尊さ、共に生きることの楽しさなどを、これからの子どもたちに教えたものです。
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まあまあ

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『県立の名門の旧制中学校に合格できたのは、試験官の前で、俺が「教育勅語(きょういくちょくご)」を諳(そら)んじたからだったんだ!』と、私の父が言っていたことがありました。軍国主義教育を一身に受けて、高等教育も受け、国策の企業で働き、戦闘機の部品に関わる軍需工場に奉職しながら、敗戦を迎えました。まだ三十代の若い父は、『俺は陸軍の「中佐」と同じ身分だった!』と母に語っていたそうです。

「海軍一家」で育った父の誇りは、「戦艦大和」だったのだそうです。それは、日本の造船技術の粋(すい)を尽くして建造され、「不沈艦」と言われた世界最大の軍艦でした。1937年に建造計画され、11月、秘密裏に、広島県呉の海軍造船所で建造が開始され、1940年8月に「進水式」が行われ、1941年12月に就航しました。ところが、3年4ヶ月後の1945年4月7日に、米軍の攻撃で、沖縄に赴く途中、沈没してしまいました。

「世界一病」と言う病気があります。スポーツ界でも文学界でも産業界でも、「世界一」になろうとする《野望》におかされている病気です。これは、「学級一」、「学校一」、「県一」、「日本一」が昂(こう)じて、行き着く病気です。そんなに小さな日本、国土も狭く、資源も乏しい国が、欧米諸国の近代化から置き去にされていたのを、不断の努力で、追いつき、追い越そうとしたのが、我が国でした。

『富士は日本一の山!』で満足していたら好かったのに、「新高山」のある台湾を併合し、満州を手に入れて、「五族協和」の野望を遂げようとし、そしてアメリカ合衆国に並び、それを越そうとした、「世界一病」に罹ってしまって、ついに戦いに負けてしまったのです。その敗戦の恥を雪(すす)ごうと、戦後の産業界は、品を変えたのですが、また「世界一病」を拗(こじ)らせてしまっているのが現状です。

それって、「驕(おご)り」ではないのでしょうか。社員は、一所懸命に励んできたのに、経営陣が傲慢になって、「世界一」を振り回したのですが、実力がなかったからでしょう、「不正」が行われて、今多くの有名企業が、恥を世間に晒すことになりました。総理大臣を務めた石橋湛山は、「小日本主義」を掲げたジャーナリスト出身の政治家でした。

この方は、身分相応、身の丈相応にするのが「一番」だと主張したのです。連合艦隊司令長官だった山本五十六は、近代戦争は軍艦ではなく、飛行機の時代だと主張していたのですが、「大きな物」を欲しがって、時流を読めなかった政治家や軍人は、「世界一病」で、あの戦艦大和を建造したのです。軍人の悲哀、勝てないと分かっていた戦争を、せざるを得なかった山本五十六の心情を察することができます。

「大きさ」を誇った国々は、どの国も滅んでしまいました。自分の実力を知った小国や、小企業が永らえて、活躍して輝くのです。一度だけ、「学級一」のクラスの《番長》になったことが、私はありました。ところが、指導力と実力、人望に欠けていて、翌年、下克上にあって城を明け渡さなければなりなせんでした。それ以来、「世界一病」から解放されてしまいました。まあ、「まあまあ」が一番好いのでしょう。

(神奈川県横須賀の市花の「ハマユウ」です)
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