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ある学校で、講座を履修したことがありました。社会人に開放した講座で、特急電車に乗っては、《知的刺激》を求めて一年間通いました。
その時、相手と対座して、互いに言葉を交わしながら、相手の良い点を発見し合うゲームが行われたのです。カウンセリングの技術の実践でした。相手に何を言ったのかは忘れたのですが、このご婦人が、『歯が綺麗ですね!』、と他に良いところがなかったのか、普段は唇を詰むんでいて、見えない歯に関心を寄せてくれたのです。
『俳優のWに似てますね!』、『歌手の誰それに似てます!』とかは言われたことはありましたが、歯を褒められたのは、一度きりでした。歯だって、大切な体の部分で、朝起き抜けの一番で、最近は歯磨きを励行しているのです。家内が、そう勧めてくれたからです。『睡眠中に、口内は雑菌だらけになっているから!』という理由でです。食後の歯磨きよりも、効果があるそうです。
また、歯を褒められそうですが、前歯の一本は、若い時に、ビールの蓋を歯でこじ開けていた友人の真似をしたせいでしょうか、在華中に、高いお金を払って義歯一本を入れることになってしまいました。帰国後、それを入れ替えたのです。前歯は治療ではなく、美容になるっていうのもおかしなことですね。今度、歯を褒められたら、たいまい〇〇万円も払わされたのをほめてくれるのでしょうか。
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上の兄が訪ねて来ていて、『銭湯に行こう!』と誘われて、近所の銭湯に行った時のことです。もう30年も前、もうなんでも昔話になって、新体験の少なくなった年齢になった証拠ですが、午後だったので、空いていたのです。一人のおじさん、自分たちも十分におじさんでしたが、湯に浸かりながら、ちょっと無遠慮にジロジロと、私たちを見ていたのです。
この人が、何を言うかと思ったら、感心しながら『目が綺麗ですね!』と言ったのです。街の歴史を語ったのでも、世間話で会話をしたわけでもなかったのに、唐突な感じで、そう言われたわけです。目も褒められたことは、ついぞなかったので、これもちょっと驚いたのです。
『目は心の窓!』とか、『心の鏡』と言うのを聞いていましたから、『心が綺麗ですね!』と言われたようで、これは嬉しかったのです。若気の至りで、お酒に酔って、濁ってトロンとした目つきの時もありました。憎しみを込めて睨みつけたことも、苛立った目も蔑みの目もありました。涙だって何度も流した目です。
ほとんど使ったことはないのですが、「目力(めじから)」と言うそうです。人は、よっぽどの恥ずかしがり屋でない限り、相手の目を見ながら、言葉を交わして交わりを持ちます。目のギラギラしている人は、意思強固な感じがしますので、自分を奮起する時に、実際に目に力を集中させて、弱々しくならないように、敢えてそうすることもありました。
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初めての職場に、夜間の大学の法学部に通いながら、警視庁の巡査をしていた方がいました。いろいろな話を聞いた中で、犯罪性のある人は、目を逸らしたり、疾しそうな目配りをするのだそうで、〈目つきが悪い〉人は、要注意なのだそうです。そんなことを聞いてから、人の観察眼が冴えてきたようでした。
それで、怪しまれないように堂々と街中を歩き、キョロキョロせずに、視線を泳がさないように、注意深く振る舞い、歩くように、私は努めて生きていました。でも、みうそんな振る舞いや見せかけの自分とはおさらばして、ありのまんまで生きています。この歳で、目力の強いジイさんなんて、気持ち悪がられるだけでしょうか。《涼しい目》が好いですね。