祈り

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 『神はその権力をもってとこしえに統べ治め、その目は国々を監視される。頑迷な者を、高ぶらせないでください。 (詩篇66篇7節)』

 指導者の器ではないのに、指導者が王座や支配の地位に着いてしまった国家や組織は、致命的な欠陥を持っていると言えます。そう言った指導者を生み出さざるを得なかった、事情や状況があったのですが、それが世界的な不幸の原点に違いありません。

 第一次大戦に敗れたドイツが、厳しい世界からの戦後処理に見舞われている中に、ナチスが台頭しました。悪魔的な弁舌に長けたヒットラーの演説に、ドイツ国民は酔ったのです。窮状を脱出させてくれる指導者としてしまったわけです。金日成然り、ムッソリーニ然り、スターリン然り、習近平然りです。

 無能だと評価された器が、いつの間にか支配の座に着いてしまったのは、偶然ではありません。やかましいドラや、巧みに考え抜かれた宣伝文句、人心収攬術に長けた参謀がいたからでした。マスコミも支持していました。そう言った小さな助長が、無能者を大物に作り上げてしまい、悪事を働かせてしまったのです。

 正論を語って助言する器は、戯言を言っていると排除され、粛清されたのが、それらの国の悲劇でした。日本の軍部の圧力がかかったマスコミは、真実を告げずに、軍部の打ち出す情報を活字にして、嘘に上塗りをして戦意を煽ったのです。横暴な圧力がかけられたからでした。泣く子と地頭に負けたのです。その罪は重大でしたが、世は『仕方がなかった!』というのみでした。

 戦争に加担した文筆家たちも、国民を煽りました。あの戦陣訓の校閲に携わった島崎藤村は、兵士に死を選ばせたのです。敗戦後はただ黙り込んでしまったのです。時代の空気にあがらうことのできない人や組織があって、戦争を助長してしまったと言えます。その上、戦争で莫大な儲けを得られる企業家たちがいました。味方を得た彼らは、莫大な資金を投資して戦争を推し進め、天文学的な利益を得たのです。

 虚勢で身を包んだ指導者が、マスコミの宣伝に乗せられて、横柄に振る舞う姿は吐き気がします。現代も同じです。やはり、「否」と言える人がいないからです。そう言える人は、抹殺されてしまいました。時の権力者に諂(あがら)う側近たちの、やましい目の動きと振る舞いは唾棄されるべき、憎むべきで、支持してはいけません。

 だがしかしです、不正や不義が横行して、人の命を奪おうとも、国を悲劇に陥れようと、国民が食べられなくとも、天の御座に着座される、全能者、公正な神はおられます。コロナもウクライナ戦争も、ほしいままの様に見えても、憐れみ深い神は、それらを終息させます。「神」は、「わたしはある」とおっしゃられるお方で、支配者の座にいらっしゃるからです。

 人や国家の横暴を恐れないで、ただ神がなさろうとしておられることを、神を畏れながら、じっとこの世に現実を眺めていることにします。どの国にも、祈りの手を上げる人々がいましたし、ウクライナの地にもおいでですし、ウクライナのための祈り手がいます。この祈りをお聞きになるお方は、歴史をも支配なさる神でいらっしゃるからです。

( “ Christian  clip art ” による「祈る主」です)

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神の主権

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 『今日、国際紛争はまことにわたしたちを呆然とさせるばかりであります。人々の心臓は、恐怖のあまり、鼓動をやめさせてしまいそうです。野蛮な圧政は、幾千万の同胞を無残にも踏みつけました。4世紀前にカルヴァンが書いた言葉を借りて言えば、「世界の動乱状態は、わたしたちから判断力を奪ってしまいます。」こうした時代にあって、神の主権ということは、実に言い難い慰めであります。世界は冷酷、無慈悲な運命の手に陥ったのではありません。人間や悪魔の全体主義の餌食になったのでもありません。

 神の計画はいまなお厳存し、神は今なお、すべてよしとするときろをなしたまいます。「万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。(イザヤ1424節)」という言(ことば)は、依然として真実であります。人間史上のあらゆる不穏な事件を一貫して、全能の主なる神の主権的聖定が支配しています。たとえ、雲と暗黒が神をとりまこうとも、義と公平は神の御座の基であります。神は悪人共の不義な思いをとおして、義なる目的を実現なさいます。神は世界統治の手綱をしかと握っておられ、神が知りたまい、定めないかぎり、一羽の雀も落ちることはありません。

 実に神の予知と予定こそ、わたしたち信者は霊魂の慰めを得たいものです。これこそ、いと高き者のもとにある隠れ場であり、全能者の陰であります。それは永遠のなる神の絶対主権であります。わたしたちの主イエス・キリストの父なる神に他ならぬ方の絶対主権であります。また、まさに同じ普遍妥当性をもって、神人であり、受肉の御子であり、救主なる王、王の王、主の主であり給う主イエス・キリストの仲保者的主権であります。』

 『また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。(黙示録196節)』

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 この記事は、ジョン・マーレイ著の「神の主権(昭和30910日、基督改革派日本伝道会発行)」の最後の部分です。著者は、アメリカ合衆国フィラデルフィアのウエストミンスター神学校の組織神学の教授をされた方です。

 第二次大戦中、マーレー師は、神学校で、「神の主権」について講義をしていたのでしょう。侵略戦争がヨーロッパでもアジアでも繰り広げられ、国際社会で覇権が猛威を激しく現れ、多くの命が失われている現実の中でさえも、神が統治し、支配していることを、神学生に教えたのです。

 今まさに、青年期に受けた教育と、選んだ職業が、一瞬にして、民主化運動で打ち破られた挫折体験をした指導者が、あの夢をもう一度再現すべく、昔の様な強い支配体制、強権のある国家を建て上げてようとする野望が動機で、ウクライナが侵攻されています。昔の強い国家の再現という、一人の政治家が牙をむいていきり立っているのです。平和に過ごしてきた隣国に、兵器を用いて攻め入り、多くの命を奪い、街々を破壊し、平和を打ち壊して、なおも猛々しくしています。

 神さまは、このかつての東欧諸国の間で起こっている殺戮行為を、放っておかれません。必ず裁きをつけずにはおかれないのです。人の悪が極まり、罪が満ちるまででしょうか、神の忍耐の限界を超える時でしょうか、わたしたち人には、それはいつかは分かりません。

 何が起きていても、全天全地を支配し、すべての人の業をご覧になっておられる神は、「義」と「平安」の統治者は、「天の御座」に、輝いて着座されていらっしゃるのです。神の御子のイエスさまは、「仲保者」で「救い主」でいらっしゃいます。

 「耳を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方がご覧にならないだろうか。 (詩篇949節)』

 その神は、不義や闇が世界を覆おうとも、罪を見過ごされません。必ず「義の裁き」を下されるのです。

 「確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。 (詩篇9613節)」

( “ Christian  clip art ” による「神の栄光」を表すイラストです)

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 「新約聖書」のヨハネの福音書の最初のことばは、次のように記されて始まります。

『太初(はじめ)に道(ことば)あり、道(ことば)は神と偕(とも)にあり、道(ことば)は即(すなわち)神なり(文語訳)。』

 「道(ことば)」は、logos (ロゴス/ギリシャ言語でλόγος )です。中国語訳も「道 dao 」と訳されています。イスラエルに説教者によると、「アラム語(イエスさまが語られた日常会話語)」では [メモラ]と言うそうです。あの『アバ(おとうちゃん!)』も、このアラム語なのです。

 何もない無の状態に、初めからおられたのが、「神」であるからです。英語はGod 、ヘブル語は EL (ヤーウェ、エロヒム、アドナイetc.)、韓国語は ハナニム(하느님)、これらは、《唯一神》を意味していると言われます。各々の民族や氏族や部落が、それぞれに持つ様な神、自分たちにだけ良くしてくれる御都合神、ではなく、万人共通の「ただお一人の神」しかおられないに違いありません。

 聖書は、そう断言してから、書き始めています。初めに、神がおいでなのです。『微細な物質、原子があって、それが想像を絶する時間の中で、結合したり分離したりして生命体が作られ、生命体が複雑に関わり合って、高等生命になり、私たち人間になっていった。』と言う解説では説明しきれないのに、現代人の多くは、それで納得しようとしています。「創造論」を受け入れられないからです。

 神の創造なんて信じられないと言うなら、その進化した生命の存在も、荒唐無稽でなおのこと信じられないのではないでしょうか。今操作している、この  iPad ですが、どなたも進化の結果の産物だとは思いません。Apple 社の研究や設計によって、生産された驚くべき電子機器です。こんなに薄く、小さないのに、世界の隅々にまで、電波を通してつながり、様々な情報を発受信しているのを、受け止めて知らせてくれます。

 この宇宙や地球や人に、設計者はいなくていいのでしょうか。製造者がいなくて、偶然の積み重ねによって存在しているのでしょうか。息子や娘や孫や兄弟や友人や知人、自分の国やウクライナ戦争や人口問題や食糧問題、環境問題や健康問題などなどのことを考えて、悲しんだり心配したり安堵したりしている「思い」は、人の目には見えませんが、実際にあります。

 そうしているわたしに、必ず設計者と創造者がいます。『初めに神が。』と言って書き出す聖書は、すべての原点、出発点が、「神」だと言うのです。いつも思い出すのは、同志社の新島襄が、漢訳聖書の『起初神创造天地。』と言う巻頭言を読んで、『神がいるとするなら、この神が神に違いない!』と信じたと伝えられています。

 神はおいでになられます。このお方は、義、聖、愛、忠実、柔和なお方です。聖書を読まれるなら、さらに神のご性質やなさっておられることを知ることができます。わたしが、知ることができたのは、まだほんの一部に過ぎません。

 パウロは、『また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。 (エペソ119節)』と、知ることにできる神だと言って、知ることを勧めています。

 この神さまは、ご自分を啓示されておいでです。何よりも人となられたイエスさまが、神でいらっしゃるのです。もし人が謙るなら、神を認めることができ、神に知られてる自分であることが判るのです。母に聞いていたのですが、神のいますことを信じられたのです。悪さをすると、どこかで見ておられるのではないかと恐れました。良いことをすると、いい気分になるのは、この神さまがくれた心情だと思いました。

 イエスさまが、神の子でいらっしゃり、「十字架」でわたしの罪の身代わりに死んでくださった「救い主」だと判った時、すべてのモヤモヤが晴れて、神の愛や厳しさ、忍耐や促し、導きや禁止などを、深く感じられたのです。何よりも、一番判ったのは、この自分が《赦されたこと》でした。それから50年、赦された感謝は日々に新たにされ、さらに倍増するのです。

(獄中で神を賛美するパウロです〈 Christian clip  art〉)

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 間もなく迎える五月、そこで日本の食卓に欠かせないのが、「かつお」なのでしょう。江戸っ子は、女房を質に入れてでも、「初鰹」を食べたかったそうですね。当時は、極めて高値だったそうで、<一匹小判一枚>だったとかでした。

 「かつお」を食べさせてくれる食堂に、何度か行って注文したのですが、ニンニクを薄く切ったものを載せて食べる様にされているのです。江戸っ子も、そんな風にして食べたのでしょうか。おろし生姜の入った醤油で食べたら飛びっ切りでしょう

 鎌倉を生きて出でけむ初鰹 芭蕉

 華南の地では、海が近いので海鮮料理が人気があるのですが、刺身やタタキにする食習慣がありません。空前の日本ブームで、若いみなさんは、日本寿司店で、サーモンの刺身を食べる様になってきていたのです。北欧から輸入されてた「鮭」に人気がある様です。

 滞華中に、食事に招いてくださった方が、「鮭の刺身」を、私たちのために注文してくださったことがありました。「醤油」が、中国製醤油でした。もし「生醤油」で、おろし生姜があったら美味しかったのにと、ちょっと残念でした。

 何年も前に、土佐の高知に出かけた時に、お土産で、「かつおのタタキ」を買って帰ったことがありました。スーパーで買うのとは違った美味しさを感じて満喫したのです。この高知は、「鰹漁」で有名で、<一本釣り>の漁をするそうです。ところが、その漁をする漁師さんが年々減ってきて、人手不足の危機感を感じているというニュースを聞きました。

 東シナ海に、漁に出て遭難されたお父さんと息子さんを亡くされた親戚の奥様が、漁村におられ、この婦人を親族の一人として、激励しようと計画されて、誘われて一緒に訪ねたことがありました。「板子一枚下は地獄」と日本の漁師さんは、漁撈の危険性を言うのですが、こちらの漁民のみなさんも同じ様に、天気や潮次第で、人力では超え難い困難がつきものです。

 1832年、知多半島の小野浦から、千石船に船子14人を乗せた宝順丸が嵐に遭遇して、14ヶ月も太平洋を漂流してしまいます。アメリカの西海岸に漂着したのですが、乗員14人中、三吉(岩吉・久吉・乙吉)の3人だけが助かったのです。

 華南の漁村から漁に出た船と、連絡が取れず、『遭難したらしい!』とのことで、行方不明のお父さんと息子さんの無事をと、お祈りをお願いされて、お祈りしたことがありました。その時、この助かった三吉のことを思い出して、ご無事を願ったのです。

 今では漁労技術や漁労法、石油動力の漁船があって、安全に操業できるのですが、自然の猛威の前には、大海の漁船はどうすることもできません。田や畑を耕すのとは違って、漁業は命懸け、そんな苦労を覚えながら、今夕は、《海の幸(さち)》、旬(しゅん)カツオがいいなの四月です。

驚いたこと

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 2017年の春先でしたが、ある映像を見ました。幼稚園児たちが、あるご夫人の前で、感謝とお願いをしているもので、驚いてしまったのです。『中国から鉄砲とかくるけど、ぜったい日本を守ろう。』とか、『日本を守ってください。』、『よろしくお願いします!』とか、幼子が声を揃えて言っていました。この幼稚園の理事長との問答のやり取りを、このご夫人の前でしていたわけです。

 私は幼稚園にも行けないで、ハナたれ小僧で、悪戯に目覚めていた年齢の時には、まだ字も習っていませんし、野山を、兄たちの後について駆けまわっていました。この幼稚園の園児の口から出ていた、「国防」などについては何の知識もありませんでした。ちょうど「警察予備隊(今の自衛隊の前身でした)」が誕生したニュースがラジオや新聞が、仕切りに報道していた時代に、幼児期を過ごしていたのですが、大人の世界などには全く関心がありませんでした。

 それなのに、この園児たちは、黄色い嘴(くちばし)で、「国防問題」を語り、政府の責任者がする仕事に感謝やお願いまでしていたのです。それが幼稚園児がでしたから、驚きました。でも、この問答は、すでに、このご夫人の訪問前に、練習済みだったに違いありません。その理事長という人が、『中国から、何? 言って!』と園児に応答を求めていました。また、『「日本を守ってください、お願いします」と、◯◯夫人にきちんと伝えてください!』と園児に求めていて、それに園児たちが呼応していたのです。

 何だか、昔の予科練の教場でなされている、教官と練習生とのやり取りが、こんな風だったのではないかと思った次第です。聞くところによりますと、この幼稚園では、「教育勅語」を覚えさせているのだそうです。

 第一高等中学校(現在の東京大学の前身です)の教師をしていた内村鑑三が、これを聞いたら、たまげてしまうに違いありません。これを聞いていたご夫人は涙ぐんでおいででした。国政の要職に、自分の主人がついているのですから、こんなことを園児の口から聞いたら、自然と、そうなるのでしょうか。

 戦争を知らない世代の大人が、こんなことを幼児に言わせている、「愛国教育」に驚いたのです。このご夫人とご主人とに、「よいしょ」をしているように聞こえて、不愉快でした。私には孫が四人いますが、尊敬や礼節は教えていただきたいのです。でも、こんなことを言わせて欲しいとは、全く願いませんでした。もちろん日夜、国政に預かって、国の舵取りをしている方々に、感謝できる子にもなってもらいたい思いはあります。

 私は、生まれた村、学び育った町、社会人として仕事をした街街を、また、そこで出会った人々、また、した仕事を懐かしく思い出すことがあります。戦後の荒廃の中から、父たちの世代が、国を復興させたこと、そして平和を享受できる国造りをしてくださったから、それらを受けることができたのです。ですから深く感謝しています。そして、こんな日本が大好きです。私を育て、守り、寛がせてくれたからです。でも、この守りが昂じると、いつか攻撃的になっていくので危険です。

 でも、妻や子や孫を、守ろうとする思いはあります。おめおめ暴漢に傷つけられたり、殺されるのを、黙って見ていようとは思いません。拳や剣を取らなけれが、守れないなら、それらを取って、彼らを守ろうと思いながら、子育てをしました。これって真の民主主義を学んだ者の究極の決断と選びなのでしょう。でも、過剰防衛になってはいけないと思っていたのです。

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牧者

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 『わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネ1011節)』

 牧場の羊は、いつも危険にさらされています。そんな羊が必要としているのは、「牧草」と「清潔な飲み水」と「休息」です。それがあることで、安らかに生きていけるのです。これらが備えられるために不可欠なのが、「羊飼い」です。どうしても、導き手がいなければなりません。

 まだ信仰を持ち始めた頃に、「羊飼いが見た詩篇23篇(W・フィリップ・ケラー著/いのちのことば社刊)」を読みました。著者のケラーは、実際に羊飼いをしたことがあり、何を羊たちが必要とされているか、その必要をどう満たすかについて知っていて、その本を記したのです。

 ここに《良い牧者》がいます。羊の群れのために、その一匹一匹のために、自分の命を投げ出した牧者の存在を、著者は明らかにしたのです。羊とは、彷徨える私たち人のことです。真実な羊飼いがいないで、狼が虎視眈々と襲おうとしていますし、粗悪で劣悪で不健康な草を摂取し、汚れて腐った水を飲み、安らかに眠るとこなく生きていた私は、この「牧者」と、青年期の初期に、幸いにも出会ったのです。

 その上、正しく判断することができず、邪悪な道に誘われ、滅ぶばかりの状況下で、拾われたのです。羊が頑迷であるのと同じで、わたしも、無力なのに自分勝手に生きて、結局は迷子になって、正しい道に戻れずに、深みに沈み込もうとした時に、首根っこを掴まれて、つまみ上げられたのです。この忠実な牧者なしに、わたしは生きてはいけないのです。

 動物の中で、羊は一番愚かだと言われます。わたしも愚かで、いつも混乱していました。主なる神、イエスさまが「牧者」となってくださってから、その羊飼いの手にある「鞭と杖」を使い分けて、叱責と助けと導きをしてくださって、今日まで生きてこられたに違いありません。

 教会時代の始まりに、「使徒」として召され、その職責を果たしたパウロにとっても、イエス・キリストは、「牧者」でした。そして彼自身も、諸教会を導いた牧者でした。テサロニケの教会に書き送った手紙に、どの様に、教会を導いたかが記されています。

 『それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。(1テサロニケ人278節)』

 わたしは、パウロが、どんな人、指導者、牧者であったかを、この箇所で知りました。「母が子どもたちを養い育てるように」と、「優しさ」で接したのです。漢訳聖書では、『如同母亲乳养自己的孩子」、お母さんが乳児を、乳房を含ませて養う様にして養い、振る舞ったと記しています。

 それは、「救い主」でいらっしゃるイエスさま、また「助け主」でいらっしゃる聖霊なる神さまと同じです。私たちへの接し方は優しいのです。わたしがバスケット・ボールをしていた中学の時に、鉄拳を使って、私たちを教えると言って、先輩たちが制裁したのとは、全く違うのです。

 同志社を興した新島襄に、「自責の杖事件」がありました。当時の英学校の二年生が、集団で授業の boycott(ボイコット)をしたのです。それは、「校則違反」で、『罰せよ!』という声が上がりました。出張から帰った新島は、教壇に立って、『今回の集団欠席は、私の不徳、不行き届きの結果起こったことであり責任は自分にある!』と言って、持っていた杖で自分の左手を叩き始め、杖が3つに折れるほどでした。

 これが、明治基督者の教師の姿でした。イエスさまが、信じる者たちの罪の身代わりとなって、十字架に死なれたのに倣って、新島は、自らに罰を課したのです。そんな新島に感銘を覚えたわたしは、同志社で学びたかったのですが、道は開かれませんでした。

 ここに、「良い牧者」がおられます。滅ぶばかりの瀕死のわたしを、永遠のいのちに救ってくれたお方なのです。義を愛し、真理を求め、隣人を愛して生きる生き方を教えられ、今日も生きています。

(“ Christian  clip art ” の「羊飼い」です)

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春まだき

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 芭蕉が詠んだ句に、次のような俳句があります。

 櫻がり きどく(奇特)や日々に 五里六里

 日本列島、電車に乗っても、バスに乗り換えても、山にも里にも、桜前線が北上して、樺太に至るまで桜が順次満開中です。山の木々の間や麓の林の中や路側や小学校の校庭の隅に、桜が見られます。雪の残る「平家の落人部落」では、これからの様でしたが、帰路の東武鬼怒川線も日光線も、車窓から満開の桜を見ることができました。

 芭蕉の頃にも、桜狩りは人気だったのでしょう。旅の途中、奈良の吉野山を、桜咲く時季に訪ねたのでしょうか、人は五里も六里も、咲く桜に誘われて逍遥して、観桜を楽しんでいました。そんな人たちが、桜を追いなら、いつの間にか遠くに行ってしまって、その疲れを《花疲れ》と言うのでしょうか。

 豊かな水資源を、宇都宮市、茨城県、千葉県などに、「都市用水」として供給するために、また地域の洪水対策にのために建設されたのが、「湯西川ダム」、「五十里(いかり)ダム」です。小雨の中を、バスの車窓から、その美しい湖面を見ることができました。でも、まだ少し早いのでしょうか、山肌にポツンポツンと咲く桜花は見ることができませんでしたし、山里にも、まだ桜の開花は早かったのです。

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 花を見たわけではなかったのですが、『泊まっておいでの宿の湯は、湯西川でもとても良いんです!』と、蕎麦屋の女店主に言われて、早朝5時に散歩に出かける前に一度、午前に一度、午後に一度、夕食後に一度と、温泉を楽しんで、電車に揺られて帰ってきたら、めずらしく頭痛に見舞われてしまい、夕食後、早々と床についてしまいました。

 頭痛持ちでない私にも、ズキズキと一息ごとに痛みがやってきて、夜中の2時ごろまで眠れませんでした。そのうち痛みが引いたのでしょうか、朝まで眠ることができ、定時の5時半に起床したのです。寝る前、玄関の棚に、獨協医科大学病院の診察券と、健康保険証を用意し、『酷い鼾(いびき)がしてきたら、救急車を呼んでね!』と家内にお願いしたのですが、使わずにすんでしまいました。父が、脳溢血で召されたので、父似の自分ですから注意したのです。

 湯西川の瀬音、鳴く鳥の音、梢を揺する風の音ばかりを聴いて、好い音を聞き過ぎたのかも知れません。帰栃して街中の音についていけなかったのでしょうか、初めての頭痛体験でした。春先の《花疲れ》、いや〈湯当たり〉だったかも知れません。

 春まだき うぐいす鳴きて 平家の野

 桜なき 湯西の里に 花疲れ

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春雨

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 『神はそのいなずまを全天の下、まっすぐに進ませる。それを地の果て果てまでも。そのあとでかみなりが鳴りとどろく。神はそのいかめしい声で雷鳴をとどろかせ、その声の聞こえるときも、いなずまを引き止めない。神は、御声で驚くほどに雷鳴をとどろかせ、私たちの知りえない大きな事をされる。(ヨブ3735節)』

 「二十四節気」で、旧暦三月、いまの4月を、「穀雨」と言うのだそうです。今週月曜日に訪ねました湯西川で、バスを降りましたら、冷たい雨が降っていました。宿までは舗装されていましたが、雨具持参でしたが足元が濡れてしまったのです。宿の着きますと、『お迎えに上がりましたのに!』よ、女主人が言ってくれました。

 「時雨」と書いて、しぐれと読みます。“gooデジタル大辞泉樹雨の用語解説木の葉や枝についた霧が水滴となって落ちること。 また、その水辞書には、「『1 秋の末から冬の初めにかけて、ぱらぱらと通り雨のように降る雨。《冬》「天地(あめつち)の間にほろと―かな/虚子 時雨煮」の略。 涙ぐむこと。涙を落とすこと。また、その涙。』とあります。

 わたしたち日本人は、この雨に特別な気持ちがあるのかも知れません。別名があって、「夕立」、「俄雨(にわかあめ)」、「通り雨」、ちょっと難しい漢字で、「驟雨(しゅうう)」と言ったりします。動詞でも、「時雨れる」と言う表現があり

 日本では、「雨」を様々な言葉で呼んできています。思いつくものも幾つかありますが、調べてみましたら、こんなにありました。

春雨(はるさめ)春の菜種梅雨の頃の弱く降るもの、

緑雨(みどりあめ)新緑の頃に降るもの、

翠雨(すいう)青葉に降りかかるもの、

村雨(むらさめ)降ったと思うとすぐに止んでしまうもの、

瑞雨(ずいう)穀物の生育の益のために降るもの、

秋雨(あきさめ)秋にシトシトと降る長雨

麦雨(むぎあめ)麦が熟する頃に降るもの、

甘雨(かんう)草木を潤すために降るもの、

霧雨(きりさめ)霧だか雨だか判別できない様に降るもの

五月雨(さみだれ)田植え時期に降る長雨、

樹雨(きさめ)木の葉や枝についた霧が水滴となって落ちるもの、

喜雨(きさめ)日照り続きの日に降ってくる恵みの雨、

慈雨(じう)雨が降らないで待ち望んでいたときの恵みの雨、

小糠雨(こぬかあめ)小糠の様な細かくシトシトと降るもの、

涙雨(なみだあめ)ほんの少し涙の様に降るもの、

白雨(はくう)空が明るいのに降る俄雨、

氷雨(ひさめ)冬に降る冷たい雨で雹(ひょう)と言うこともある、

私雨(わたくしあめ)全域ではなく限られたところに降るものもの、

 夏場のセミの鳴き声(本当は声ではなくセミの体を知り合わす音なのだそうです)を聞きますと、暑さを抗議してる様に、強く感じられます。降ってくる様なので、「蟬しぐれ」と言うそうですね。中国の南の街で聞くと、特別に暑く感じてなりませんでした。夏場になると初めに聞こえてくる『ジィージィー!』から、『カナカナカナ!』に変わってくると、暑さも一段落するのでしょうか。

 このところ、「雷都」と呼ばれる宇都宮に近い、ここ栃木では雷の声が聞こえてきません。遠くから徐々に近ずいて、雷光があって、大音響の雷鳴が鳴り渡って、大雨が降るあの勢いが大好きな私は、ちょっと寂しいのです。季節が進むと、聞こえてくるでしょうか。車軸を流す、そんな雨を、長く過ごした華南の街では、「陣雨zhenyu」と言っていました。今ごろの季節には、大音響の雷鳴が、天空をゆする様に、お腹の中に響き渡る様に聞こえていたのを思い出します。

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ローカル鉄道

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 童謡の「汽車ポッポ」は、作詞が富原薫、作曲が草川信で、リズミカルなメロディーで、子どもたちが大好きでした。

汽車(きしゃ) 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
僕等(ぼくら)をのせて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード 窓(まど)の外
(はたけ)も とぶ とぶ 家もとぶ
走れ 走れ 走れ
鉄橋(てっきょう)だ 鉄橋だ たのしいな

汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
汽笛(きてき)をならし
シュッポ シュッポ シュッポッポ
ゆかいだ ゆかいだ いいながめ
野原だ 林だ ほら 山だ
走れ 走れ 走れ
トンネルだ トンネルだ うれしいな

汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
けむりをはいて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
ゆこうよ ゆこうよ どこまでも
明るい 希望が 待っている
走れ 走れ 走れ
がんばって がんばって 走れよ

 ポッポ シュッポ シュッポ シュポッポ"の蒸気機関車など、電化と共に消えて行き、映画やアニメ、Youtubeなどでしか見られなかったのですが、最近では、あちらこちらで観光用に復古されているのです。今回、東武日光線、鬼怒川線、野岩鉄道を利用したのですが、どこかの駅で、蒸気機関車を見かけたのです。

 コロナ禍以前、日光の宿泊施設に出かけた折、下今市駅で見かけることがあって、週末に運行されていた様です。でも、また再開されるのでしょうか、「大樹」と名付けられた東武線の観光用の蒸気機関車でした。

 中学の時に、立川駅から五日市線が出ていて、中央線が電化されていたのに、ローカル線なので最後まで、蒸気機関車に牽引される列車が運行のために残っていたのを覚えています。〈鉄ちゃん(鉄道フアンの呼称です)〉ではない私でも、あの蒸気と煙に、何とも郷愁を感じてしまいます。蒸気で車輪を回す力強さは、男の子の憧れだったのではないでしょうか。

 中央線は、笹子峠の手前で、スイッチバックをしていました。一気に登り切ることが、蒸気機関車ではできなかったのです。記録映画で観たことがあるのですが、東北のローカル線では、3台の蒸気機関車で牽引しないと登れない峠もあった様で、今では廃線になってしまいました。とにかく、夏場、トンネルに入ると、一斉に窓を閉めなければなりませんでした。開けていたら煤煙が入り込んでひどい目に会うからです。

 何でも手でする時代で、面倒でしたが、全てが自動になってしまった今になると、何もかもが懐かしくて、便利さの陰で、情緒が失われてしまったことが悔しいくらいです。駅で窓を開けて、駅弁とお茶と氷ミカンを買って食べさせてくれた父や母の顔が浮かんで参ります。窓から出入りしたこともあったのです。

 もう、ほとんどの特急電車や寝台電車がなくなってしまったそうです。ゆっくりと汽車の旅ができなくなってしまいました。亡くなられた鄧小平氏が訪日され、初めて東京から「東海道新幹線」に乗られた時、『後ろから押しこくられる様でした!』と感じたと言われていました。そうですね、私も無理に急がされている様に感じてなりません。これからは、ゆっくりと旅も人生も過ごしたいものです。

 東武鬼怒川線の新藤原駅から、「野岩(やがん)鉄道」が35年ほど前に開通され、今では、会津若松駅に繋がっているのです。その湯西川温泉駅は、地下にあって、会津方面は、ホームの先に、湯西川の鉄橋が見えます。その先は福島県で、白虎隊の会津に行くことができるのです。

新藤原駅方面は、長いトンネルが続いていますから、もし蒸気機関車の牽引の列車でしたら、煤で顔も何もが真っ黒になっていることでしょう。今回の旅行(栃木県の県内の旅でした)で、すっかり、ローカルの鉄道への興味が湧き上がってしまいました。都会人よ、コロナが明けたら、街を後にして、ローカル線の旅に出よう!

(「野岩鉄道の湯西川温泉駅に着こうとしてる電車、路線図です

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平家の里にて

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下の数字記号は video です。

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 結婚記念日で、訪ねた訪問先は、旧栗山村(現在は日光市に合併されています)です。〈最後の村〉だったそうですが、住民は、合併には賛成でなく、平家の落人の誇りを守りたかったのでしょうか。

 この街中を、湯西川が流れています。奥山から流れくる清流なのです。その川床が「粘土質」で出来ています。それを「滑床(なめどこ)」と言います。小学生の頃に、多摩川を渡る旧国鉄の鉄橋下に、ここと同じ粘土質の川床で、その上に橋脚が置かれていて、潜ると、それを見ることができました。

 川に足を入れてはみませんが、流れを見ますと、浪床の上を綺麗な水がしぶきを上げて流れていました。その瀬音に慰められます。35年ほど前に、野岩鉄道が営業を始めてから、両室な温泉をねあての観光客が来られる様になったそうです。

 お昼ご飯に、蕎麦屋に入り、食後、店の前の商店に入りましたら、地味との方が話しかけて来て、『移住してらっしゃいよ!』と誘われてしまいました。散歩しますと、廃屋も多く、しっかりした家屋も、住み手がおられないままの家が多くあります。

 この村を出て、生活を確立されている世代は、戻ってくるのは、大変だろうなと思ってしまいます。診療所、警官の駐在所、消防支署、小さな美容室があり、食材は引き売の車が、週に2回来るのだそうです。

 宅急便の車を見掛けましたから、まあ、生活に困ることはなさそうです。移住への誘惑は、ちょっと考えさせられてしまいました。余所者(よそもん)を受け入れてくれそうですが、通院の便を考えると、1日6便のバス運行では、大変そうです。こう言う時に、『運転免許証の更新をしておけばなあ!』と悔やんでしまいます。

 こんな自然美、天然感を味わえたら、少々の不便も苦にならなさそうです。救急ヘリコプターで、駆けつけてくれそうですし、重く誘惑されてしまいました。

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