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この写真は、この秋、次女の子(私たちの最初の孫)が、学校に入学して、入寮したdomitory と、自分に割り当てられた部屋の様子を撮って送られてきたものです。この寮は、彼の家族が所属する教会が、若者たちのために長く運営しているものなのです。彼の両親や叔父や叔母が、青年期に、ここで過ごしていました。ここへは家から通えるのですが、18の彼は自分で願って、家族から離れて、test されて入寮したのです。といっても、学校にも、教会にも至近な距離にあり、今晩は、入学以来初めて帰宅したのだと、娘が言ってきました。
部屋の中を撮った写真の中に、壁に三つのものが掲げられています。一つは、「色紙」です。墨を浸した筆で書かれた書で、彼が生まれた時に、彼のお父さんが教えていた、長野県南部の高等学校の年配の先生が、彼の誕生を祝して書いてくれたものだそうです。
「桃李不言 下自成蹊」、「史記」の中に、司馬遷が書き残したものです。「桃李(とうり)ものいはざれども、下おのづから蹊(こみち)を成す。」と読み、その意味は、『桃や李(すもも)は何も言わないが、美しい花や良い香りの果実を求めて人が集い、その樹木の下には自然と蹊(こみち・小道)ができるという、李広将軍その人を讃えた故事である。桃や李は、人格者であることのたとえで、そのような人物は黙っていても、徳を求めて人々が集まってくる。』
同僚の子の誕生に際して、立派な人格者となるように願って墨書してくださったものを、自分の家の部屋に架けていたのです。それを持ってきたわけです。英語で、” Way Maker “ と言う、この書の「成蹊」は、彼の救い主イエス・キリストが、そうしてくださることでしょう。
二つは、「リンカーンの肖像画」です。彼の曾祖父のオフイスの壁にあったものを譲り受けたのです。南北戦争が行われたゲティスバーグの地でのリンカーンの演説が残されています。私たちが学んだのは、“ government of the people, by the people, for the people ” が有名だったでしょうか。9歳の時に亡くなった母ナンシーは、『あなたは百エーカーの農場を持つよりも、一冊の聖書を持つ者となりなさい。』と語っていたそうです。また、次のようにも言っています。
『息子よ、まずこの家の家計を考えねばなりません。わたしたちは裕福ではないのです。家族みなが食べてゆくことさえ思うままになりません。そんな状態なのに、あなたはきれいな服が欲しいと言えますか?自分の家の状態にふさわしくふるまいなさい。いずれあなたは自分にふさわしい状態になります。他の人の言葉にいじけてはなりません。自信をもって生きなさい。自信こそすべての成功の根源です。』
さらに、リンカーンの継母サラは、母ナンシーの亡くなった後、2年ほどで、父親のところに来ています。『お母さん!」と呼びかけ、一緒に、しかも毎日、聖書を共に読んでくれたのだそうです。貧しい家庭で、公教育を受ける時間は一年足らずでしたが、独学をし、弁護士となります。その生涯で、奴隷解放をした、今でも、もっとも慕われるアメリカ合衆国大統領になったのです。このリンカーンの優れた人間性に、孫は感銘を覚えているようです。実に humble な人だったのを認めているのです。
そんな humble な人になる願いが、孫にあるのでしょうか。この孫は、ドイツ系とフランス系アメリカ人のお父さん、日本人のお母さん、自分自身はアメリカ国籍のアメリカ人で、アメリカ人である「誇り」と共に、自分の内に流れる日本人に家系の意識も強固なのでしょう。そう言った意味で、「日の丸」を壁に掲げたのです。今夏の家族での訪問時に、どこかで手に入れたのでしょうか。両親の元を離れて生活の一歩を過ごす自分に部屋(もう一人のルームメイトと共用です)、その部屋の壁に、もう一つの「誇り」を掲げたのです。
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彼の専攻は、” liberal arts “ で、教壇と学生席の教室ではなく、円卓を囲んで、“ debate (対話形式授業)” で学んでいくのだそうです。娘によると、” Great books curriculum (グレイト・ブックス・カリキュラム)” をテキストに学び始めているようです。34人ほどの学生数ですが、歴(れっき)とした大学で、自分で選んだ学校を楽しんでいくことでしょう。
私たちの孫たちが、《神と人とに愛される人》となって生きていけるのを願っています。聖書を読み、祈り、主を賛美し、隣人を愛し、主を畏れて生きていって欲しいだけです。
(「円卓」のイラストです)
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