どの国にも、民族にも代表的な歌があります。これは、朝鮮民族の有名な歌(民謡)、「アリラン」です。それは峠の名前ですが、意味は諸説あって特定できないのだそうです。
アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠を越えて行く
私を捨てて行かれる方は
十里も行けずに足が痛む
アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠を越えて行く
晴れ晴れとした空には星も多く
我々の胸には夢も多い
アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠を越えて行く
あそこ、あの山が白頭山だが
冬至師走でも花ばかり咲く
私の父が、『・・・アラリヨ アリランコウゲイロ ノモカンダ・・・』と、よく口遊んでいたのを聞いたものです。父の出自が、朝鮮半島だからではありません。『俺は、鎌倉武士の末裔だ!』と言って、唯一の誇りにしていましたから、確かだと思います。ただし、それ以前、朝鮮半島か中国大陸から渡来したかどうかは、分かりませんが。まあ、私たちは、「高天原(たかまがはら)」に降り立った神々の子孫ではなく、イルクーツクや中国や朝鮮や南方からやってきて、日本列島に住み着いた者たちの血を受け継ぐ末裔であることだけは確かだと思います。
戦時中、仕事の関係で京城にいたことがあったので、その思い出が深くて、よく口遊んでいたのです。哀調のあるメロディーで、日本の民謡や歌謡曲(演歌といったほうがいいでしょうか)に通じるもののようです。今、私たちの住んでいるアパートのベランダから道路を挟んだ向こう側に、広場と公園があります。夕方になると、レコードを掛けて、三々五々と集まって来られるご婦人たちが、楽しそうに踊りをしているのです。その曲が、子どもの頃に盆踊りで流れていたメロディーにそっくりなのには驚かされています。横笛や琴のような楽器が奏でられている曲ですから、『ピーヒャラ、ピーヒャラ』と聞こえてきて、田舎を思い出させられております。
中国大陸、朝鮮半島、日本列島と、東アジアに住む私たちは、様々に似ているのではないでしょうか。戦争が終わって、かなりの年月がたつのですから、過去から将来に目と心を向け直して、お互いに励まし合って、それぞれに楽しく生きていくとが最善だと思うのですが。
昨日あるコラムを読んでいましたら、中国から来られた青年が、高知の桂浜にある坂本龍馬の銅像の前に跪いて、『アジアの先駆者!』と涙を流して語ったのだそうです。このことを知った司馬遼太郎が、産経新聞に「竜馬がゆく」の連載小説を書く決心をしたのだそうです。高杉晋作が、上海に密航して、そこでアヘンに苦しむ中国人の姿を見て、欧米の精力の脅威を感じました。『日本も、このままだと同じようになる!』と危機を覚え、尊皇攘夷、開国を決意したのです。中国青年が、涙を流しながら、龍馬を「アジアの先駆者」と語りかけたのは、1960,61年の頃だと思われますから、半世紀ほど前に来日した中国人の言動には、今では想像もしえない親日の情を表したことになります。
そんなことで、私も目をつぶりながら、父の歌っていた「アリラン」を、朝鮮語で途中まで覚えているので歌ってみました。みだ見ぬ「白頭山(長白山)」が、富士山に重なりながら目に浮かんでくるようでした。
(写真は、HP〈ヤサシイエンゲイ〉から、「ムクゲ(大漢民国の国花)」です)