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ホイットマンに、「おれにはアメリカの歌が聴こえる(“I Hear America Singing”)」と言う詩があります。
おれにはアメリカの歌声が聴こえる、いろいろな賛歌がおれには聴こえる、
機械工たちの歌、誰もが自分の歌を快活で力強く響けとばかり歌っている、
大工は大工の歌を歌う、板や梁の長さを測りながら、石工は石工の歌を歌う、
仕事へ向かうまえも仕事を終わらせたあとも、
船頭は自分の歌を歌い、甲板員は蒸気船の甲板で歌う、
靴屋はベンチに座りながら歌い、帽子屋は立ったまま歌う、木こりの歌、農夫の歌、朝仕事に向かうときも、
昼休みにも、夕暮れにも、母親の、仕事をする若妻の、
針仕事や洗濯をする少女の心地よい歌、誰もが自分だけの歌を歌っている、
昼は昼の歌を歌う―――夜は屈強で気のいい若者たちが大声で、美しい歌を力強く歌う。(飯野友幸訳)
“I Hear America Singing”
I hear America singing, the varied carols I hear,
Those of mechanics, each one singing his as it should be blithe and strong,
The carpenter singing his as he measures his plank or beam,
The mason singing his as he makes ready for work, or leaves off work,
The boatman singing what belongs to him in his boat, the deck-hand singing on the steamboat deck,
The shoemaker singing as he sits on his bench, the hatter singing as he stands,
The wood-cutter’s song, the ploughboy’s on his way in the morning, or at noon intermission or at sundown,
The delicious singing of the mother, or of the young wife at work, or of the girl sewing or washing,
Each singing what belongs to him or her and to none else,
The day what belongs to the day — at night the party of young fellows, robust, friendly,
Singing with open mouths their strong melodious songs.
内村鑑三に、「桶職」の作品があります。
我は唯(ただ)桶を作る事を知る、
其他(そのほか)の事を知らない、
政治を知らない宗教を知らない、
唯善き桶を作る事を知る。
我は我(わが)桶を売らんとて外に行かない、
人は我桶を買わんとて我許(もと)に来る、
我は人の我に就いて知らんことを求めない
我は唯家にありて強き善き桶を作る。
月は満ちて又欠ける、
歳は去りて又来たる、
世は変り行くも我は変らない、
我は家に在りて善き桶を作る。
我は政治の故を以て人と争はない、
我宗教を人に強ひんと為ない、
我は唯善き桶を作りて、
独り立(たち)て甚だ安泰(やすらか)である。
役人や官吏や学者や軍人ではなく、内村は、一人の市井の人、職人を取り上げています。まるで日本人を代表するような、日蓮や、上杉鷹山や、二宮尊徳や、藤江藤樹ではなく、内村は、無名の、どこにでもいる「桶職人」を取り上げて歌いました。
ワシントンや、リンカーンや、ジェファーソンではない、実業現場の人たちを、ホイットマンも取り上げています。どの村にも、どの街角にもいる人です。立派な法律の草案を書き上げてもいないし、文明の利器も発明もしていないし、奴隷解放もしていないのですが、目立たなく自分たちの社会を、支えてきた人たちを注目しているのす。
その「甲板員が歌っていた歌」って、どんな歌だったのでしょうか、興味が尽きません。船に乗って、モールス信号を打つ通信員になりたかった私は、その単純な動機は、父の机の上に置かれてあった打信機を遊び道具として、いつまでも遊んでいたからです。けっきょくは甲板員にも通信員にもなりませんでしたが、救い主イエスさまを、ほめたたえ、感謝の歌を、七十七になる私は、今も歌っています。
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