万葉集に、「武蔵国の豊島郡の上丁椋椅部荒虫が妻の宇遅部(うじべの)黒女(くろめ)」が詠んだ和歌(やまとうた)があります。
赤駒(あかごま)を山野(やまの)に放(はが)し捕(と)りかにて
多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣(や)らむ
その意味は、「防人(さきもり)に出かける夫に、せめて馬を持たせたい。しかし、大事な赤駒は放し飼い中だし、あまりにも急な召集だから捕らえている間もない。もう、二度と会えないかも知れないのにあの多摩の横山を越えて難波までの遠い苦労の路を歩いて行かせてしまうのだろうか・・・(安島喜一さんのHPの記事から)」
http://www.asahinet.or.jp/~hm9kajm/musasino/musasinomannyousannpo/sakimorinouta/akakomawo/akakomawo.htm
これは、「防人歌」と言われているもので、遠く朝鮮半島からの侵入者から国を守るために、今の九州に遣わされて行った夫を想って詠んだ、妻の作です。車も高速道路もなかった時代、『せめて夫には、馬に乗って九州の任地に行ってもらいたい!』と願った妻の切々たる思いが込められています。「防人(さきもり)」を、《gooの辞書》で調べますと、『《「崎(さき)守(もり)」の意》古代、筑紫・壱岐・対馬(つしま)など北九州の防備に当たった兵士。 』とあります。「横山」というのは、どうも多摩丘陵をそう詠んだのではないかと思います。小学校時代に、この丘陵を駆け巡ったことがあります。また、八王子市の中心には「横山町」という地名があり、かつて甲州街道の宿場の1つ「横山宿」からの地名なのです。
21世紀の日本の国防や復興に当たる人たちも、「平成の防人」といえるでしょうか。今まさに東日本大震災、原発事故といった大試練の只中にある日本ですが、その復旧と復興と放射能拡散阻止のために、遣わされている自衛官、消防署員、警察官、公務員のみなさんを、「東北の防人」、「原発の防人」とお呼びしていいのではないでしょうか。かつては「一銭五厘」の赤紙で戦地に送られたのだそうですが、現代の防人は、志願しての赴任であります。公務への滅私の献身、国難に際しての使命感には、驚嘆し、感動してやみません。かつても防人は、納税義務の一部としての兵役でしたが、現代日本の防人たちは、もちろん公務員ではありますが、給料のためだけではない、人道上の献身をみるのであります。
こういった時期というのは、実は金儲けに一番の好機なのだそうです。多くの「成金」たちは、人が天災、戦時、疫病蔓延の時期に、莫大な富を築いていることを歴史の中にみるのです。しかし、東日本では、絶好の商機であるのに、多くの商人や経営者が、富の蓄積のためにではなく、故郷の再生のために、顧客に納品するために、また失職した人たちに雇用の機会を提供するために、事業の再興を決心しておられるのを聞きます。素晴らしいことです。日曜日の今日も、ある集いに、南アフリカから来られた方が、本国からのコメントを持ってこられて、それが読まれていました。冷静に沈着に、この事態に対処されている日本への驚嘆が語られていました。そんな日本と日本人を見ているのですね。
うーん、日本人が忘れかけていた《優しさ》や《思いやり》の思いが復活していることは、エコノミックアニマルと揶揄され、軽蔑されてきた私たちにとっては、起死回生の時であり、祖国愛や誇りの再起の時となっているのではないでしょうか。私たちが誇る祖国のために、多くの国の救援隊の復興支援、物資や募金の寄贈などには感謝の言葉がありません。ことのほか、《アメリカの防人(在日アメリカ軍兵士)》が、外国である日本の災害地での活躍ぶりには、図り知れない友情を覚えてなりません。彼らの妻たちの思いの中にも「防人歌」があることでしょうか。感謝なことであります。
(写真は、熊本県立・鞠智城温故創生之碑「防人」です)