聞くのは噂か預言のことばか

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 「35人ルール」、どんな事故でも、公表される死者数は、「35人」に決められて、公表されるのが、お隣の国の地方の都市で起こる事故や事件における死者数なのです。それ以上の数は、ほとんど例外なくありません。それは、周知の事実で、あちらにお住まいのみなさんは、実数を信用していません。どうしてかと言いますと、それ以上の人数になると、公に処罰対象になり、責任者は罷免させられたり、左遷、降格があるからなのだそうです。

 それを避ける保身のために、『実数を公表しないのです!』との通例になっていると聞きました。長い間、あちらで生活した時には、地震があっても、交通事故や炭鉱に落盤事故があっても、その犠牲者は、35人に上限が決められて、報道されていました。公表されるのが、地方の都市で起こった事故や事件における死者数なわけです。

 パニックが起きてしまうから、それを避けるのだとの言い訳もある様です。これって、日本でもありそうです。「事実」が公表されないのは、今に限ったことではありませんでした。報道規制がなされていた、戦時下に、『勝った、勝った、また勝った!』と、軍事作戦の成功を、煽り上げていたのです。

 偽装と虚偽の報告がなされる社会は、事実の上に立たないので、不安が満ちて、落ち着きません。不信が社会に満ちるのです。今回の地方選挙の中で、驚かされたのは、県会、百条委員会の決定で、失職した兵庫県知事が、選挙で返り咲いたことに驚かされたのです。すっかり自分が騙されたので、誹謗中傷の矢面に立たされ前知事の悪行報道を鵜呑みにして、ニュース報道を疑わなかった私は、狐につままれた様でした。

 テレビも新聞も、報道各社は、異口同音、同じ扱いでした。それを聞いて、自分も信じてしまったことは申し訳ないことと、反省させられています。事の真相が明らかになっていくのでしょうけど、言い訳をしなかった知事さんはすごいと思ったのです。

 人を陥れようとする悪意が、こんな形で行われるのは、珍しくないことですが、これからは、こう言ったことが、さらに多く起きてくるのでしょうか。自分では、噂話には関心を持たない様に生きてきたつもりですが、落とし穴に嵌(はま)る危険性が、いつでもありそうで、怖い感じがしております。

 武器や弾薬を使わない、「うわさ戦争」が、世の中にあります。正しく判断しないで、その四方八方から、あらゆるメディアを通してやってくる噂話に耳を傾けて、信じてしまわない様にしようと思う今です。

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預言者エレミヤは、次の様に警告しています。

『そうでないと、あなたがたの心は弱まり、この国に聞こえるうわさを恐れよう。うわさは今年も来、その後の年にも、うわさは来る。この国には暴虐があり、支配者はほかの支配者を攻める。(新改訳聖書 エレミヤ51章46節)』

 あふれるほどの噂話が起こった時代について、預言者エレミヤは、この書の中で、多くのことを預言していますが、その預言は、これから迎えようとしている時代に対する預言だとも思われます。「人々のうわさ」を聞くか、「預言者の声」に聞くか、私たちは、正しく聞くなら、祝福に預かれ、惑わされることがなく、救いに預かることができるのです。

『わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。(エレミヤ33章3節)』

 呼び求める、叫び求める私たちに、神さまは答え、告げてくださるのです。多くの偽預言者の声が聞こえてきますが、神さまが書き記す様に導かれた「聖書」、そこに書き記したことに耳を傾け、神さまが、派遣される、真実を語る「預言者」の語ることばを聞くことが肝要です。

(Christian clip arts の聖書記者ルカ、ウイキペディアの「法螺〈ホラ〉」を吹く人です)

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出流の山麓の皇帝ダリアと紅葉

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 昨日は、自治会のseniorのみなさんと、ふれあいバスに乗って、市の北にある出流山の麓の蕎麦屋さんに、新蕎麦を食べに出かけました。ここは幕末に、水戸天狗党が立籠った地で有名です。煮しめ二点、漬物、野菜の天麩羅に舌鼓を打ちました。

 真っ青に晴れ渡った山の佇まいも、新蕎麦の味も格別でした。7時過ぎから、うずま公園の枯葉の掃除に出て、一汗かいて出かけました。好い味と交わりの一日でした。

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ズズメのさえずりに

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 清水かつらの作詞、弘田龍太郎の作曲の「すずめの学校」は、よく歌いましたし、聴いてきました。1921年(大正10年)に作曲されています。清水は、少女雑誌の編集をしながら、作詞をした人で、「靴がなる」、「みどりのそよ風」があります。弘田は、「浜千鳥」、「鯉のぼり」などを作曲しています。

🎶 チイチイパッパ チイパッパ
雀(すずめ)の学校の 先生は
むちを振(ふ)り振り チイパッパ
生徒の雀は 輪(わ)になって
お口をそろえて チイパッパ
まだまだいけない チイパッパ
も一度(いちど)一緒(いっしょ)に チイパッパ
チイチイパッパ チイパッパ
 ♫

 散歩途中の運動公園で泣いていたのは、スズメだったと思います。スズメが激減して、絶滅危惧種にでもなる様な状況だと言われていますが、その元気な鳴き合う声を聞いて、なんだか安心したのです。

 このスズメは、木作りの家屋の屋根瓦や板材などの継ぎ目の隙間に、枯れ草や稲を運んで巣作りをして、そこで卵を産んで育てていた様に感じていました。ところが、モルタルやコンクリート造りの家屋が増えてしまって、どこに営巣してるのかが分からなくなっています。それとともに、農薬散布によって、餌となる虫が駆除されたり、生きて行くことができなくなったのが原因で、数が減少している様です。

 霞網(かすみあみ)やバッサリと呼ばれる仕掛けで、子どもの頃に捕まえたりしましたが、食用にしたことはありませんでした。庭に米粒を撒くと、飛んできては啄(ついば)む姿をよく見かけたことがあります。人の生活圏に近いところに巣作りをして、猛禽類から守られる知恵を働かせていたのでしょう。

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新美南吉に、「雀の歌」と言う作品があります。1935(昭和10)年2月に発表された「チチノキ」に所収されているものです。

小さい卵のなかにゐる
かあいゝ坊やよでゝおいで、
みんなはおまえを待つてゐる。

お空は青くはれてゐる、
坊やのお歌を待つてゐる。

梢の空気は澄んでゐる。
小麦は軒端にこぼれてる。

お花畑は呼んでゐる、
遊びにおいでと呼んでゐる。

光はいつぱいみちてゐる。
神様までが待つてゐる。

坊やよ坊やでゝおいで、
黄色いくちからでゝおいで、
母さん「ばあつ」とでゝおいで。

 米作りに精出してきた日本人にとっては、スズメは、稲を食べる敵ではありますが、害虫を捕って餌にしますから、自然界の循環でしょうか、化学薬品を散布しなくても、害虫駆除をしてくれたことで、雀は私たちの生活圏の近くにあり続けた鳥なのです。新美南吉の詩は、雀讃歌の様な響きをもって、微笑ましく詠んでいます。

 運動公園のベンチに座って、しばし鳴き声に聞き入っていたら、なんとなく懐かしく思い出されて、心が癒された様でした。秋も終わり、冬が訪れようとしています。

(ウイキペディアの雀、稲の刈り入れ後の蘖〈ひこばえ〉です)

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初冬の日の出です

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 そう言っても、12℃も気温がありますから、まだ秋なのでしょう🍂 遠くに筑波の峰がうかがえます。稲刈りが終わった田んぼには、蘖(ひこばえ/切り株)が残されていますが、今年は、11月になっても、暑い日が続いているからでしょうか、青々として、第二の稲が、背丈を延ばしているかの様です。やはり、珍しい風景です。

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開発か濫伐か

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 ニューヨークのマンハッタンにあるセントラル・パークは、市民や訪問観光のみなさんに、とても親しまれていて、緑豊かな巨大な公園なのだそうです。ニューヨーカーのみなさんは、このセントラル・パークの木を切って、ビルを建てようなんて、だれ一人言わないのだそうです。とても大事に管理されているのです。

 ところが東京都は、大手の不動産会社の手で、樹木の切り倒しが行われています。ニューヨークと同じ様な巨大都市で、土地の価格は天文学的ですが、巨大なビルや住宅を作るのに、それを犠牲にしても、心が傷まないのかが不思議でなりません。

 この東京は、明治以降、京都から遷都され、東京市と呼ばれる様になりました。それより以前、江戸にはなにもない関東平野の海岸に面した漁村に過ぎませんでした。太田道灌の築城したものに、手を加えて、徳川家康が江戸幕府の要を置いた街でした。漁民の住むの湿地を、大々的に整備して、世界中で、最も整備された街としたのです。

 明治になって、さらに整備され、とくに関東大震災後、帝都復興院の総裁となったのが、盛岡藩出身の後藤新平で、街づくりに奔走します。内務大臣であった後藤新平が、都市計画家として、東京の街づくりに敏腕をふるい、力を注いだのです。

 道幅の広い道路づくりや、街を整った形に変かえる区画整理に力を注ぎました。現在の「昭和通り」、「靖国通り」(当初は大正通りと呼ばれていました)、東京の環状線となる「明治通り」(今の環状5号線)などが敷かれ、街路樹などが植えられたのです。

 自然を残しての近代都市であるべきなのに、〈都市開発のために!〉との肝入りで、美しい東京、神宮外苑の自然に手を入れ、樹木を伐採するのに、反対の声が上がっているのに、計画を強行する、その思いが分かりません。《もったいない》のは、土地を遊ばせておくことではなく、土地を荒らすことにあるのに、そう思わないのでしょうか。

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 市街地の北に、総合運動公園と言う緑の溢れた一廓が、自分の住む街にあって、そこまでの散歩が、主な自分のコースになっています。鳥の囀りが聞こえ、春が近くなると、木々に蕾が膨らんできて、花が咲き、夏には鬱蒼と緑が濃く茂り、秋には紅葉し、冬には冬籠りしていきます。この自然のサイクルがあって、とても楽しむことができ、何よりも、その中ほどにある東屋やベンチに座ると、ホッとさせられるのです。

 ときどき学校帰りに、新宿御苑に行きましたが、あの繁華な新宿に、静まり返った公園が残されているのは、実に素晴らしいことでした。その続きの神宮外苑も、そのままに残したいものです。自然との距離が大きくなるにつれて、人の心が荒廃していくのです。それは横にだけではなく、高層階に住むほどに縦の距離が地表から遠のくにつれて、同じ様に、心が荒(すさ)んでいくのです。

 枯れ葉が落ちて、散っていく様に、一人の少女の命が削られていく、「最後の一葉」の物語を、家内が高校の演劇部で、主人公になって演じたのだそうです。画家のMr.ベアマンが、窓にでしょうか、一葉を描き、それを見た少女が、死期を伸ばして行くのだそうです。そんな話を聞きました。神宮外苑にも、ぜひとも残しておきたいものです。

(ウイキペディアの神宮外苑、NYのセントラル・パーク、運動公園です)

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秋深し、冬?

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 総合運動公園の木と空とグラウンドです。秋深し、すでに冬でしょうか。枯れ葉を踏んでの散歩でした。それでも汗ばむほどでした。まだ、今年の気候は異常で、日本の南には、複数の台風が発生していると、天気予報がありました。次郎柿が出回っていて、つい買ってしまい、家で剥いて食べたら、懐かしいふるさとの味がしてきました。

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23歳の時の一つの質問に

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『主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。(新改訳聖書 詩篇147篇3節)』

 ニューヨークの小学校の教師をしていた高校時代の級友に依頼されて、課外授業で話をした、ベトナム戦争の帰還兵で、23歳のアフリカ系の青年、アレン・ネルソンに、一人の女子が質問をしました。『Mr.Nelson、あなたは人を殺しましたか?』とです。瞬間、小学校4年生の質問を聞いて凍りついた様に、固まってしまった彼は、しばらく声を出せないで沈黙が続きます。

 アレンは、ニューヨークの貧民街で、未婚の母の子として誕生します。お決まりの貧困と非行が続き、海兵隊に入隊するまで、満腹の体験がないほどの貧しい中を育ち、高校も中退してしまいました。街をぶらついていた時、〈海兵隊員募集中!〉の広告が目に入り、それに捉えられた彼は、その事務所に駆け込んで応募するのです。難なく合格すると、『Heroになれる!』と勇んだのです。図書館貸し出しの一冊の本に、そうありました。

 「戦場のヒーロー」になるには、恐ろしい階段を登り、人間として厳しく辛い、極限の旅に出ねばなりませんでした。兵士は慈善事業に従事する任務に就くのではなく、自分が「殺人兵器」にならなければならないのです。自尊心を捨て去り、恐怖心を捨て去ります。戦場で生きるには、敵を殺さねばならないからです。「共産主義に蹂躙されるベトナムの人々を解放し、自由と人権を回復して、この人たちを救う!』との名目で戦うように訓練されます。

 アメリカ政府は、莫大な資金を、殺人兵器を作り上げるために投入したのです。生の人間を、獣に改造するのです。訓練を共に受ける戦友候補は、想像を絶する様な過酷な訓練を受け、それをやり遂げた達成感で、彼らは互いに連帯感を持ちます。歴史に刻まれる様な戦いに臨むことで、高揚感を感じるのです。

 それこそ厳しい訓練を受けて、沖縄の訓練基地に移動します。そこで実戦さながらの銃撃訓練を受けるのです。戦場で生き延びることは、敵を掃討する以外にないわけで、スマホで戦争ゲームをするのは架空ですが、実戦体験は、常識など通用しないほどに過激であって、その詳細は記さない方が良い様です。

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 ついに、ヴェトナムのダナン基地に着きます。猛烈な暑さに襲われ、そこで目にしたのは、基地の脇にある冷凍施設に置かれた頑丈なプラスチックの袋でした。巨大な冷凍施設が、そこにあって、戦場で死んだ遺体が、冷凍処理されて、沖縄への帰りの航空機の便で送られようとしていたのです。

 それは、黒色の、100余の遺体が収容されたコンテナでした。まさに戦場の真っ只中での英雄となろうとした多くの若者の悲しい姿の有り様を、これからという新兵たちは、戦場到着と同時に目撃したのです。戦地に送られた兵士たちと、戦いに倒れ運ばれようとしていた兵士が、その基地で行き合ったわけです。

 激戦の最前線に移送され、英雄になることは、殺人者になることであって、自分は死なないために、密林を這いずり周り、塹壕(ざんごう)を掘って身を隠し、名の知れない虫と小動物と戦いながら生き延び、ベトコンを殺さなければ、自分が死んでしまう戦場に、配備されたわけです。

 この様に、自分と同世代のアメリカ兵が、熾烈な戦いの最中だったのです。ところが、平和で、ベトナム戦争の「戦争特需」で景気のいい日本で、自分は、のうのうと学生生活を送っていたのです。横田基地に運ばれてくる、戦死者の体を洗うアルバイトがありました。誘われたのですが、到底できませんでしたから、断ったのです。アメリカ兵もベトコンも自分も、まさに同世代でした。この戦争は、1964年8月に起こった、トンキン湾事件を発端として、アメリカ軍が全面的な軍事介入を開始して始まっています。しかしアメリカ軍は北ベトナム軍やベトコン(解放戦線)による、ゲリラ戦を相手に、泥沼状態で苦戦し続けます。

 1973年3月に、最終的に和平協定を結んで、アメリカ軍がベトナムから撤退し、1975年4月30日に、北ベトナム軍が、サイゴン(現在のホーチミン)を陥落し終結したのです。

 1965年に、アレンは18歳で入隊し、2年後の1967年に、死線を越えて生き延びて、ニューヨークに帰還します。除隊後、3年ほどホームレスをしていました。その頃、街中で教師の同級生のダイアンに出会い、頼まれてアフリカ系住民の居住区の小学校におもむき、その4年生の学級で、真実は語れず、きれい事で話をすませたのです。その小柄で利発そうな女子に、その様に聞かれたのです。

 それを聞くと体がこわばり、長い沈黙の後、気がつくと、アレンは、つぶやく様に、しかしはっきりと、“yes.” と無垢なクラスの生徒たちの前で答えたのです。そう答えると、目を開けることができませんでした。すると、質問をした子が、歩み寄って彼の腰に手を回してきたではありませんか。そして優しく抱き締めて、涙をいっぱいにした目で見上げて、『かわいそうなMr.ネルソン!』と語りかけます。それに続いてクラスのみんなが、アレンの周りにやって来て、小さな手で抱いてくれたのです。

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 この経験を通して、アレンの心が弾けたそうです。ホームレスでいてはいけないことが分かり、これから何をすべきが示されたのです。もう一度、普通に生きて、戦争の真実を語ろうと決意したのが、1970年、23歳でした。それ以来、戦争体験のPTSD(Post Traumatic Stress Disorder)、心的外傷後のストレス障害を越えて、同じ様に障害を持つ人たちのお世話もして来ておいでです。

 旧日本軍の帰還軍人のPTSDの話を、先般、NHKの番組の放送で聞きました。それは、戦後生まれたご子息の、心の傷にも関連づけられるのです。でも、お父さんの戦争体験の事実を、お父さんに死後に知らされて、やっと理解でき、息子さんの心が癒されたのだそうです。またそれは、新たな出来事が、ウクライナやロシア、イスラエルやパレスチナ民の双方に起こり得る問題でもあります。

 職業柄、これまで、多くのみなさんが、過去の出来事で、心の中に問題を抱えていることを知らされてきました。音楽療法、ロージャースやゲシュタルトのカウンセリングなどで、助けになった方も知っています。しかし、聖書では、その傷を癒す方がいると記します。いのちの付与者、保持者である神さまが、癒やされるのです。中学生で通学途中、座席に座って、虚(うつろ)な目で、『♬ 勝ってくるとぞと勇ましく、国を出・・・♫』と、小声で歌っていた、父の世代のおじさんの姿と声が、いまだに忘れられません。

 冒頭に記しました聖書の箇所に、「心の打ち砕かれた者」の近くにいてくださるのが神さまなのです。「打ち砕かれる」とは、壊す、押しつぶし、破り、粉砕することです。そんな体験をした人の「近くにいて」くださるのです。「主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ砕かれることはない」と、することがおできなのです。

 ご自分の愛する人との別離、貯えや仕事や名誉や地位などを失った人の「そば」にも、同じ様にいてくださるのです。自分のすべてをかけて築いてきた対象を失ってしまった時の心の喪失感を感じ、心が破れてしまうような経験をしても、そんな状況下で、心の傷を「包む」ことが、神さまにはおできになるのです。

☆ アレン・ネルソン著「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」(講談社)

(Christian clip artsによるサマリヤ人の介抱、ウイキペディアのベトナムのダナン、ニューヨークのセントラルパークです)

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流言蜚語

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 「群盲※象を評す」、目の不自由な人たちが、それぞれに初めて触った、「象」の体の感想を述べたことを、そう言います。この象の足を触った人は立派な「柱」のよう、尻尾に触れた人は「箒(ほうき)」のよう、尾の根本を持った人は「杖」のよう、腹を触った人は「太鼓」のよう、脇腹を触った人は「壁」のよう、背を触った人は背の高い「机」のよう、耳を触った人は「団扇(うちわ)のよう、頭を触った人は何か「大きなかたまり」、牙を触った人は何か「角」のようなもの、鼻を触ったひとは太い「綱(つな)のようなものと、一人づつまったく違った印象を語ったのです。

 一人ひとりの象の様態は正しいのですが、象全体を言い当てていません。それに似た言い方があります。

 「葦(よし)の髄(ずい)から天井をのぞく。」

 これは、「江戸いろは歌留多」にある、「よ」のカルタにあります。河原に生えている葦(よし、あし)は細くて、水分を通す管は、さらに細いのです。そんな細い管で、天井を見たとしたら、見える範囲は限られていて、全体を見ることなどできません。それと同じで、狭い視野やわずかな知識で、大きな問題を判断したり、検討しても、全体を見ることはできません。象に触った人たちも同じだったのでしょう。

 何か、「井の中の蛙、大海を知らず」、「下手の長談義」も同じ意味で言われているように思てなりません。

 今年になって、家内に、スマホを次男が買ってくれました。それで家族や私との連絡用が、とても便利になってきたのです。もうどこに行くにも持ち歩く様になっています。時間や天気予報も知ることができ、こちらでできた友人たちと日常の連絡に、文書や画像や声で、イラストまで用いて交信しているのです。さらに辞書を使わずに調べ物もしています。

 病んだからでしょうか、死に損なう経験を通ったからでしょうか、健康食材についての情報に敏感に反応しているのです。これも、素人判断が多そうです。例えばコーヒーはよくないと言う人がいれば、いやコーヒーは健康に好い、と言った風に、真逆な意見があります。聞く人は、右に左に揺さぶられて混乱してしまいます。

 ところで、専門に学んだり、研究もしていないのに、思いつきや感想をや出所不明な情報を発信させる人が大勢います。そんな検証されていない情報が、スマホを介して入手できる時代をむかえています。しかも最近では、以前は図書館に行って、新聞や本からの知識を得て、『・・・だそうです!』と、得た情報を、家内が話してくれていましたが、今はスマホからの情報が多くなっている様で、ちっと心配で、『気をつけて!』と言っています。一部分は正しいのでしょうか、全体的にみて訝(いぶか)しいことが多そうです。

 かくいう自分も同じで、よほど注意していないと、いわゆる〈ガセネタ/嘘か本当かわからないオサワガセ情報のことで、検証されていない情報も含まれているのでしょう〉や〈中傷誹謗ネタ〉に煩わされてしまっています。何度も言いますが、〈表現の自由〉を盾に、何でも言える時代になって、ある人の不確かだったり、中傷目的だったりの情報の蔓延に煩わされる機会が増えている昨今です。

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 『だれに聞くか?』、『どこから得るか?』が大切で、どうしても「取捨選択」をしなければ、情報の多さに煩わされてしまっています。江戸や京都や長崎の旅帰りの情報などは、行ったことなどない、それ以外の地に住む人には目新しく、『へー、そんなことがあるんですね!』と、嘘八百や、尾ひれ背びれをつけた話しを聞かされることがあったのでしょう。江戸の街には、「瓦版(かわらばん)」という情報のツールがあって、たまには号外が発行され、この頃起こった事件や出来事を報されたのでしょう。

 「意地の悪い姑」のイジメ、社会のゴシップなどのゴミ情報に、うんざりの今日日ほど、「事実」、「真理」などが渇望されている時代はないのではないでしょうか。どんな情報も、一度、”filter “ に通される必要がありそうです。世の中を混乱させ、扇動するような情報は、十二分に注意しなければなりません。

『「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」 そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそそれだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。(新改訳聖書 マルコ13章4〜7節)』

 「戦争のうわさ(KJ聖書は”rumours”」が、飛び交っているこの頃、聖書は、『あわててはいけません。』と言っています。私たちが承知しておくべきことは、『それは必ず起こることです。』という、主イエスさまのことばです。『民族は民族に、国は国に敵対し(同8節)」て、戦争が引き起こされます。ウクライナにロシアが攻め入り、北朝鮮はこの戦争に派兵をし、パレスチナではイスラエルとハマス、イランとが戦争状態になっています。

 ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮は、いつかどこかの国に実際に弾道弾を打ち込まないとも限りません。中国による台湾侵攻もあり得ますし、ロシアの日本への攻撃だってありそうです。そればかりではありません、「キリストの再臨」や、「世の終わりの兆候」などの関しての偽情報があります。『私こそキリストだ!』、『キリストは浜松に再臨される!』、『キリストは、20◯◯年◯月においでになられる!』と言う人が出てくると、聖書は警告しているのです(ルカ11章7~8節参照)。実際、そう言う人が、以前から輩出していて、これからもありえます。

 「流言蜚語(りゅうげんひご)」、世間に飛び交う根拠のないうわさ話が、さらに溢れかえる時がきています。それらに踊らされずに、日常の義務を、堅実に果たすことが必要です。惑わされないで、しっかり目と耳を、正しい信頼できる情報に向けていきたいものです。

 また、大きな地震が頻発しているのも、気象異常も、とくに最近の状況は、聞き的ですが、それらも、この時代の緊迫感を言い当てています。イスラエルの周辺に起こる出来事は、「日時計」だと言われています。これからの日、世界に起こる出来事の中で、イスラエルの周辺に起こる動きから目が離せません。時を知らせているのかも知れません。

※ 言い伝えであって差別のために引用していません!

(ウイキペディアの像に触れる人々、警視庁のデマへの警告ビラです)

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鳩とカナリヤ

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 すぐ上の兄は、伝書鳩を飼ったり、十姉妹の餌付けをしたり、小動物を可愛がっていたのです。とくに鳩は、小屋を作って、餌を上げたり、飛ばしたりしていました。あの頃の中学生たちの間で、この鳩の飼育が流行っていたのです。鳩の習性は、素直で帰巣本能を持っていて、放つと、しばらくして飼い主の元に、帰って来るのです。

 鳩の足に、文書を収める筒(軽量なアルミ製でした)を付けて、通信のために有用なのです。初めは、軍事や報道や医療(緊急に薬や血清の送致が行われていた様です)などの情報などを送受信するために用いられたのです。1960年代頃まで有用でしたが、通信手段が発達してからは、それらに取って代わってしまったのです。最も古い通信手段は狼煙(のろし)、伝書鳩、飛脚や伝馬など、郵便料金が上がっても、前島密が、ヨーロッパに郵便制度を導入した貢献は今に至り、IT時代でもまだまだ役割がありそうです。

 この伝書鳩として用いられるのは、カワラバト(河原鳩)と呼ばれるもので、人懐こい性質を持っているそうです。もう5000年前にはシュメールで、3000年前にはエジプトで飼われていたとの記録があります。またギリシャのポリス(都市国家)間で、古代オリンピアードの競技結果の知らせなどで用いられていたそうです。

 その他の動物が、役割を担っていた例では、「カナリヤ」がいます。作詞が西条八十、作曲が成田為三の「歌を忘れたカナリア」という歌があります。

  歌を忘れたカナリヤは
後ろのお山に棄てましょか
いえいえそれはなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは
背戸の小藪に埋け(埋め)ましょか
いえいえそれもなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは
柳の鞭でぶちましょか
いえいえそれは可哀相

歌を忘れたカナリヤは
象牙の舟に 銀の櫂
月夜の海に 浮かべれば
忘れた歌を 思い出す ♫

 捨てられるカナリアが可哀想だと言って、同情した子どもの優しい気持ちが込められた歌です。作詞者の西条八十は、歌謡曲の作詞をした人で、「だれか故郷を思わざる」、とか「東京行進曲」などで有名ですが、もともとは児童文学を専門としていた童謡詩人だったのです。

 『捨てる神がいて拾う神がいる』のだそうですが、初期には、炭鉱経営者が、炭鉱夫のみなさんの作業の安全のために、このカナリヤを重用しています。炭坑の中に入っていく作業員の先頭に、鳥籠を持つ作業員が、まず入っていったそうです。

 炭鉱の中を進んで行きますと、カナリアの鳴く声が止まったり、力を失って死んでしまったりすると、炭鉱内にメタンガスのような有害ガスが発生していることを知らせてくれるのです。それが起こると、緊急避難で、退出することができたわけです。

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 化学的な器具ではなく、生物学的な方法で、ガス発生を検知するカナリヤが、そう言った役割を担っていたわけです。そう言ったことから、英語には、

 “ like a canary in a coal mine (炭鉱の中のカナリア)」

との言い回しがあるのです。まだ何も起きていないのですが、その自体が危険だということを知らせることを言っています。カナリアの嗅覚を通して、危険が回避できるわけです。私の家の台所に、ガス検知器があって、ガス保安の係の方が操作した時に、けっこう大きな音でガス漏れを知らせてくれていて驚きました。

 炭鉱員をいち早く危険地域から退避させる役割を果たした鳥でした。人間に感知できない有毒物質を敏感に感知し、危険を知らせてくれたのは感謝なことだったのです。この歌は、歌い出しはかわいそうですが、同情する子どもによって、優しくせっしようとする気持ちが現れていて、何か安心した子どもの頃を思い出しました。

 昨今、世界中で危険な事態が起こっているニュースが溢れています。その危険を検知できる、鋭敏な感覚を鈍らせないことが肝要だと、「ガス検知カナリヤ」のことを思い出して、考えさせられるこの頃です。

(ウイキペディアのカナリヤ、死にかけたカナリヤを蘇生させる装置です)

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