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見目かたちがよく、最近では肌や歯が綺麗なことが宣伝され、美しさの標準になっています。でも、みんな歳を重ねていくと、ちょっとやそっとではシミなんか取り除けなくなってしまい、歯だって入れ歯になったり、背も縮むし、みんなおばあさんとおじいさんになり、最終は骨だけにされます。
大切なのは「心」です。お金をかけて得た加工された美貌は、元に戻ってしまいます。何十年も前に注入したシリコンが劣化して、美顔崩壊が起こり得ます。natural が一番、ちょっと歯が出てても愛嬌ですし、シミだって年輪のひとつですから仕方ないのです。背の高さだってキリンの横に立ったら誇れませんし、低かったら低地からの展望もまたいいものです。
青年期に、驚き見入ったソフィアローレンとかエリザベス・テーラーとかオードリーヌ・ヘップバーンは、ミロのビーナスの彫刻のように美しかったのです。ところが、晩年になっての写真は、あの美しさは見る影もなく普通のおばあちゃんでした。男も同じです。
ありのままが一番、歳なりの美や格好よさがあります。毛が薄くなってしまって、ちょっと、頂上付近が光り出してきても、いいおばあちゃん、いいおじいちゃんが、多勢います。かく言うオレだって、まだ捨てたものじゃあないのだと思っています。
聖書は、『麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。 (箴言31章30節)』と言っています。
まさに至言ではないでしょうか。イエスさまの弟子であったペテロが書き送った手紙にも、次のように記されています。『あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。 (1ペテロ3章3〜4節)』、とです。
「美しさ」、「強さ」、「優秀さ」を追い求めていくと、そうでない者が排除されてしまいます。でも、「弱い者」、「欠けた者」、「傷ついた者」に、愛や憐れみを向けておられる神さまは、誇らず、卑下せず、ありのままを感謝していくことを、私たちに願っておいでです。
反神のナチスが、1936年に、〈レーベンスボルン(生命の泉)〉と言う政策を始めています。強く、美しい優秀なドイツ人から成る国家を形成するためでした。「アーリア人(ゲルマン人)」の人種的特徴(金髪・青い目・長身)を身に付けたナチス親衛隊員と、同じ特徴を持つ女性とを結びつけ、できるだけ多くの子どもを生ませ、それを将来のエリートとすることを目的として作られた、ナチス的な人種政策でした。
ヒットラーの参謀のヒムラーの「超人種アーリア人」の妄想が原点です。ですから当時は、障害を持つ者、見劣りにする人を国には不要だとして抹殺されたのです。これによって生まれた子どもの多くは、1944年の段階で、推定40,000人ほどで、ほとんどが「私生児」だったそうです。あのナチスでも、このことを公然とは行わないで、秘密裏に行っていました。建国を目指した「第三帝国」に、優秀な人材を人為的に生み出そうとしたわけです。
ナチスは、最も理想的なアーリア人として、ポーランド人に目をつけ、金髪碧眼のポーランド人の子を誘拐することもしたのです。でも、首謀者のヒットラーは自殺し、ナチスも、第三帝国も崩壊してしまいます。残された〈レーベンスボルンの子〉たちは、存在の意味をなくしてしまったわけです。私と同世代の彼らは、戦後をどう生きたのでしょうか。
たくさんの悲劇がありました。社会に適応できない子どもたちが多かったのです。その一人、イングリッドについて次のように語られています。
『「わたしはイングリット・フォン・エールハーフェンです。自分のことは、名前以外はまったく知りません」、自己紹介でこんな言葉を言わざるを得なかった彼女が味わった絶望の深淵は計り知れない。わたしならそのどん底でもだえ苦しんだ挙げ句に生きる活力を失ってしまうだろう。しかしイングリットは同じ境遇の仲間たちを得て、空疎な穴から見事這い上がった。それどころか最終的には、自分を無の存在にしてしまった(ナチス以外の)人々すら赦す。あまり愛していなかった幼い自分と弟のディトマールを危険を顧みずにソ連占領地域から連れ出してくれた養母ギーゼラのことを、イングリットは〝この上もなく勇敢な人〟と呼んだ。しかしそのギーゼラによって失われてしまった本当の自分を取り戻すべく、それこそ〝魂の命〟を落としかねない危険な旅路に敢えて出て生還し、ものの見事に本当の自分を見つけたイングリットも、ギーゼラ以上に勇敢で強い女性だ。』と告白しています。
(レーベンスボルンの少女たちです)
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